2009年4月24日 (金)

3万円以上の絵の具の話

先日、久しぶりに大学時代のバイト先の友人と飲んだ。彼は青山学院大学の出身であり、私は立教大学だったこともあり、同じような大学ということもあってとても気が合い、よく一緒にスキーなどに行っていた。彼は、見事に難関の国家資格を取得し、自分で事務所を経営している。彼は、子どもができるのが遅かったため、長女が今年小学校に入学した。うちの長女は今年高2だから、10歳以上の開きがある。

私は、以前からこのブログに書いているように、お受験が大嫌いであるが、彼は娘を青山学院の初等部へ入学させた。彼は奥さんが青山学院の中等部出身であり、子どもを附属に入れるのは、奥さんの意向が強く働いているようだ。彼は私立でも公立でもどちらでも良いとの考えであり、子どもを私立に入れることに、特に賛成も反対もしなかったようである。

せっかくだから、彼からお受験にまつわる色々な話を聞くことにした。これが実に興味深い。まず、青学の初等部に子どもを入れる親の多くは(全てではない)、子どもをエスカレーター式で青山学院大学へ入学させることを目的としているのではないのだ。大学はどうでもよく、青山学院大学の附属の小学校そのものへ行かせることを目的としているとのこと。人によっては、慶應の幼稚舎に入れるよりも、青学の初等部の方が難関という人がいるくらいだ。大学のレベルの差を考えれば、それはあり得ないであろうと思ったが、更に突き詰めて話を聞くと、青山学院の初等部というよりは、青山という土地にある小学校(実際は渋谷区渋谷で青山ではないのだが・・・)に入れることを目的としているようだ。青山=セレブ(金持ち)という図式。そこに魅力を感じているのである。これは推測の域を出ないが、青学の初等部が多摩地区や他県に移転すれば、ほぼ間違いなく人気が下がるであろう。

ならば、附属から優秀な子ども達が上がってくる青山学院大学の偏差値も鰻登りになるかと思われるが、実際は慶応大学の足下にも及ばない。大学生の年齢にもなれば親の意向が働かないため、立地はどうでもよくなるからだと思われる。確かに、大学生の年齢になって、立地だけで大学を選ぶ馬鹿はいないであろう。要は、考え方が大人=まともになるのである。子どものブランド価値を高めたいと思っている母親が、子どもを青山の小学校へ行かせたいという思いで群がっているのだ。多くの金持ちが群がることで、青学の初等部は超難関になっているわけである。

そのため、青学の理事長が心から正しいと思って実施しているかどうかはわからないが、青学の初等部の教育方針(経営方針と言った方がすっきりするかな)は、見事に金持ちを意識したものになっている。まず、セレブや金持ちが喜ぶのは、何と言っても有名芸能人の子どもと同じ学校であることである。こういった人種は、「芸能人の子どもがいる学校=良い学校」なのである。そのためか、青学の初等部は芸能人枠なるものを設けているらしい。今回も入学式にどんな有名芸能人が来ていたかで話が盛り上がったが、蒼々たる有名芸能人の名前が挙がっていた。次に、制服から体操着、そして教材にいたるまで、何もかも指定されている。そして、どれも非常に高価である。驚いたのは、絵の具の値段。小学生が使うものなのに、絵の具代だけで3万円以上の請求がきたとのこと。「いくら何でもそれはおかしいだろ?」と彼に言ったら、「まあ、そういう世界もあるということなんだよ。」と言われた。私は、そういう世界はおかしいと言うことを子どもに教えるのが親の務めだと思うのだが、いかがであろうか。(ちなみにうちのかみさんは立教女学院の小学校の出身だが、ほとんど指定されているものは無く、体操着まで自由だったそうだ。青学と立教は同じようなイメージだったが、この差は何なのだろうか・・・)

それから、興味深いのがバックである。ヴィトンとかシャネルのバックでも買わされるのかと思いきや、なぜかバックは「親の手作り」という規程があるとのこと。しかし、実際に手作りをしている親は一部であり、ほとんどの親が手作りっぽく作ってくれる店に高いお金を払って頼んでいるらしい。確かにセレブに針仕事は似合わない。学校側も暗黙の了解でこれ認めているようであり、何とも馬鹿げた話である。

確か、尾崎豊は青学の高等部であったと記憶している。彼は、学校に反発を感じ、それを歌にして大ヒットした。歌が売れたこともあるだろうが、彼は途中で青学の高等部を辞めている。彼の怒りは、そんな青学の体質に向けられていたのかもしれない。また、なぜかうちの大学のサークルの後輩に、青学の高等部から来た子がいた。普通ならそのまま青山学院大学へ行けるのに、わざわざ受験をして立教に入ってきたのだ。青学と立教はどちらもミッション系だし、レベルも雰囲気も大差がないのに、「なぜ、わざわざ青学を辞めて立教に来たの?」と彼女に訊いたら、「青学に付いていけなかったからです」と言っていた。その時は、「レベルが同じなのに、付いていけないとはどういうことだろうか・・・」と不思議に思っていたが、今になってやっと彼女の言っていることが理解できたように思う。

まあ、そういう世界もあるということなのだろう。ただ、間違いなく私のような貧乏人はお呼びではない世界であることは間違いない。

やっぱり、私はお受験は大嫌いである。

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2009年3月18日 (水)

出生から大学まで

 出生から大学までのの時期は、1.乳幼児期(~3歳)、2.保育期(4~5歳)、3.小学校期、4.中学校期、5.高校期、6.大学期の6期に分けられる。それぞれの時期において、子どもは何を学ぶべきなのだろうか。ちょっと偉そうだけど、私なりの考えを述べてみたいと思う。

1.乳幼児期
 この時期において、子どもは、第一に「愛情」を学ぶべきである。そして、親は子供に「愛情」を伝えなければならない。「愛情」を教えるのではなく、伝えるのである。親が「愛情」を伝えれば、子供は自然に「愛情」を学ぶ。ただ、親が子どもに「愛情」を伝えることは、非常に難しい。一歩間違えれば単なる過保護になってしまう。私は、親が子供に愛情を伝える最も簡単な方法は、両親が少しでも長く子どもと一緒にいてあげることであると考えている。一般的に父親は働きに出ているため、少なくとも母親が一緒にいてあげる必要がある(勿論、母親が働きに出て、父親が育児に専念してもOKである。)。共働きでないと家計が成り立たない家は、やむをえず保育所かじじばばに子どもをあずけることになるが、この場合は、子どもに「愛情」を伝えるのに、かなりの努力を要する。
 ここで、「子どもに最高の教育を受けさせたい」という理由から、両親が共に働きに出ている例がある。私立の学校に行かせるため、乳幼児の頃から英会話を学ばせるため、ピアノを習わせるため等、様々な習い事をさせるために、つまり子供の教育費を稼ぐために母親が働きに出ている例があるが、これは本末転倒である。そんな努力をするのであれば、子どもと一緒にいてあげた方が、どれだけ子どものためになるであろうか。子供は、寂しい思いをするだけである。まさに親の勘違いである。

2.保育期
 この時期において、子どもは、第一に「遊び」を学ぶべきである。私の周りをみると、この時期は、幼稚園に行く子が多い。よほど評判が悪い場合は別だが、私は、できるだけ近所の幼稚園に行かせることが望ましいと思う。「あそこの幼稚園は一流だから」「私立の○○小学校に行けるから」・・・等といった理由から、わざわざ遠方の幼稚園に通わせている親がいるが、これは、親にとっても子どもにとっても大きなストレスになる。
 「しつけ」や「知育」は親の役割であり、幼稚園に期待してはいけない。「いかに楽しく友達と遊ぶか」を教えてくれれば、それでいいのである。
 また、「お受験」なるものが始まるのもこの時期である。「私立の○○小学校に入れるため、お受験に向けた勉強をさせてくれる幼稚園がいい」と言っている親がいるが、かなり危険な発想である。
 この時期は、「遊び」を学び、「遊び」を通して身体も鍛えられるのである。「けんか」も必要である。「けんか」をして、友達に謝ったり謝られたり、仲間はずれにしたりされたり、ブランコで遊んだり、外を走り回ったり・・・そういったことを通して子どもは心身ともに大きく成長するのである。この時期に友達と遊ぶこともなく勉強ばかりしていたら、どのような人間になるのか・・・。最近、メールでしか会話が出来ないような輩が増えてきているようだが、保育期からの「お受験」も一つの理由になっていないだろうか。

3.小学校期
 この時期において、子どもは、「友達作り」を学ばなければならない。とにかく、沢山の友達を作り、沢山の友達と話をすることが大切である。公立の小学校であれば、近所に様々な友達がいる。そして、様々な環境の子供がいる。貧乏な友達がいれば、金持ちな友達もいる、勉学が優秀な友達がいれば、勉学が苦手な友達もいる、時には障害を持った友達もいる。大人になって世間に出ると、様々な人達と接することになるが、様々な人たちと接する術を身につけるには、様々な人たちと接する経験をすることなのだ。口で説明してもわかるものではない。私立へ行けば、当然、一定の水準以上の子供だけが集まっており、様々な度合いの幅が狭まるわけである。それが子供のためになると考えている親がいるが、それは子供のためではなく、自分が安心していたいだけなのである。

4.中学校期
 この時期でも大切なのは「友達作り」であり、その理由は小学期と同じである。但し、中学2年くらいから、そこそこ勉強に力を入れなければならない。私は、楽しい高校生活を送れる高校は、偏差値が60~65くらいの高校が丁度良いと考えている。詳細は、高校期で述べるが、とにかくこのレベルの高校へ行くためには、少なくとも中学2年から勉強をすることが必要である。かといって、中学2年から受験勉強をする必要はない。中間試験、期末試験の前にちゃんと勉強をした方がいいということである。勿論個人差はあるが、できれば試験の3週間前、遅くとも2週間前から準備をすれば十分である。当然、塾へ行く必要は全く無い。
 目指す高校に関しては、公立でも私立でもいいと思うが、大学の付属高校は勧めない。一流大学などは、明らかに大学からの方が、入りやすいからである。例えば、早稲田や慶応の付属高校に入れるような子は、東大、一橋大、東工大クラスに十分入れる可能性のある子である。明治や立教の付属に入れる子は、早稲田や慶応に入れる可能性が十分にある。付属校は、早めに優秀な子を確保してしまおうとの発想であり、私は優秀な子の芽を摘んでいると思っている。子供も、受験を回避するために付属へ行くわけだが、後述するように、私は楽をして大学へ行くことには反対である。

5.高校期
 高校は、偏差値が60~65くらいの高校がよいと思っている。これ以下だと、先生が今一つ生徒を信頼しておらず、結構規則にうるさい。また、これ以上だと、学校側が強制的に受験勉強をさせたりする。進学指定校なるものがあるが、私はそんな学校に子供を行かせたくない。偏差値60~65の高校は、先生は生徒をそこそこ信頼しているから、規則のことをとやかく言わない。私の知る限り、このクラスの都立であれば、茶髪、ピアス、パーマなど、何でもOKである。また、受験勉強を強制されることが無く、本当に自由である。よく、生徒に強制的に勉強させるような高校を好む親がいるが、私はそれは間違っていると思う。そもそも、大学は、押しつけられて行くところではない。本人がやる気になって行くところなのだ。学校が勉強を押しつけても、決していい結果にはならない。とにかく、本人の問題なのである。
 「お受験」は、親が子供に押しつけて勉強させるものだが、この時期の受験勉強は、自ら進んでやるものである。一生懸命勉強して入った大学は、例え第一志望の大学でなくとも誇りを持てる。私は、第一志望の大学へ行けなかったが、自分が卒業した大学を誇りに思っているし、大好きである。一生懸命勉強して入ったところであり、何ら恥じていない。だから大学時代のゼミの教授に仲人をお願いしたし、今でも大学時代の仲間と定期的に会合をもっている。最近は、推薦で大学へ行くケースが多くなっているようだが、私は悪しき傾向だと思っている。付属から行くのも同じである。人生の中で、一度くらい血のしょんべんが出るくらい勉強したっていいじゃないか。だから、私は、自分の子供に浪人をすすめる。本当に行きたい大学があるのなら、とことんチャレンジしてほしい。その結果、第一志望の大学へ行けなかったとしても、この時期に一生懸命勉強したことは、必ず大きな財産になる。

6.大学期
 遊ぶもよし、勉強するもよし、恋愛するのもよし、他人に迷惑をかけなければ、とにかく本人がやりたいようにやればいいと思う。ただ、アルバイトは、是非ともやるべきである。お金を稼ぐとはどういうことか学べるし、アルバイトの内容にもよるが、社会の厳しさも学ぶことができる。ちなみに私はボウリング場と製薬会社でアルバイトをした。製薬会社のアルバイトを通して医療の世界に興味を持ち、それが今の仕事に結びついている。

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2008年4月16日 (水)

お受験不要論

 子どもを実験台にするつもりはなかったけど、何としてもお受験不要論を証明したかった。そのため、うちの子どもには一番近所の幼稚園、公立の小学校、公立の中学校に行ってもらった。勿論、塾には行かせていない。

 よほど評判が悪いのであれば別だが、幼稚園は近いところが一番である。遠方であれば、送り迎えが大変であるし、子どもにバス通園を強いることになる。大学の附属という理由で、遠方の幼稚園に通園させている親がいるが、私には理解できない。親の見栄しかないように思う。

 小学校時代に一番大切なことは、少しでも多くの友達を作ることである。決して勉学ではない。この時代に友達づくりを経験しないと、友達づくりや人間関係が下手な子になる。多くの友達を作り、できるだけ外で遊ぶ。友達は、決して自分の思い通りにはならないから、挫折も経験するし、楽しく遊ぶことで健全な心身が育成される。小学校からお受験ということで勉強中心の生活をおくらせれば、友達の数が少なくなるし、遊びも学べない。外で遊ばなければ、体力も向上しない。青白いもやしっ子になってしまう。うちの近所に小学校から私立に行っている子がいるが、近所に友達が少ないためか、いつも1人で遊んでいる。我が家の前には、いつも友達の自転車が3~4台停まっているから、大きな差である。

 「早い時期から勉強させないと、難関大学には入れない」という話を耳にするが、多分、これは塾が作り上げた話だと思う。少子化が進み、何処の塾も生き延びるのが大変である。ましてや我々の時代のように、一部の子どもだけが塾に行くだけでは、決して経営が成り立たない。当然、全ての小学生を塾に来させようと企てるわけである。親の不安感を高め、塾に来させているのだ。それに見事に騙されているのが、世のお母さん方。幼児期から英語を習わせている親はその典型。英語は、使わなければ忘れる学問であり、幼児期から習わせても意味がない。そもそも英語は通じればいいわけで、ネイティブな英語なんか必要ない。私の友人で、大学時代は全く英語が苦手だったやつが、1年くらい海外勤務しただけでペラペラになっていた。要は、必要に迫られれば、話せるようになるのである。

 中学校時代に大切なことは、やはり少しでも多くの友達を作ることである。一生の友達は、中学生時代の友達であることが多い。ただ、中学3年になれば、勉強も大切である。高校受験があるからである。私は、本当に勉強をスタートさせなければならない時期は、中学2年の2学期からとみている。

 高校受験を避けるために、大学・高校附属の私立中学に入れたがる親がいるが、附属の私立中学は非常に効率が悪い。大学のレベルに比べて、中学校のレベルが非常に高いのである。早稲田大学の附属の中学校に入れるような子どもは、十分に東大に入れる能力があると思うし、立教や明治の附属に入るような子は、早稲田大学や慶應大学に入れる能力があると思う。そういった優秀な子を早いうちに確保してしまおうというのが私立の考え方である。そして、附属の小学校や中学校は、あまり勉強しなくても上の大学に行けるというメリットがある。だから、勉強しない。立教大学においては、附属組の英語力と、受験組の英語力に大きな差があった。結局、優秀な人材を飼い殺しにしてしまっているのである(勿論、全てではないが)。

 それから、受験は決して苦しいだけのものではない。私にとって、受験勉強した1年間は、非常に充実していたし、自分にとって、とても良い経験であった。その時は確かに辛いけど、今思い返せば、楽しいかったとも言える。そもそも、受験を苦しいものにしているのは、親である。毎日塾に通い、友達とも遊ばず、夕飯もろくに食べないで夜遅くまで塾で勉強。雨の日も雪の日もである。これでは辛いであろう。まず、小学生、中学生に塾は必要ない。家で勉強できなければ、図書館で勉強すればいい。参考書や問題集は、良いものが沢山販売されている。自分に適したものを買ってきて、それをやればいいのだ。図書館は、本当に集中して勉強できる。

 うちの子どもは、とりあえず希望する高校に合格できた。勿論、都立高校である。私が行きたかった高校(私は受験することもできなかった)だから、親のリベンジを果たしてくれたことになる。塾に行かなかったから、受験勉強もそれほど辛くなかったようだ。そうすれば、2年後の大学受験の際、再び受験勉強に打ち込むことができる。親が決めた大学ではなく、自分で行きたい大学や学部を決め、合格の栄光を勝ち取って欲しいものである。

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2006年7月14日 (金)

いじめについて2

自分の子がいじめに遭った場合(中学生まで)の対処法について、自分なりの考えを述べてみたいと思う。

まず、最も大切なのが、「いじめられている自分の子が悪い。自分の子がいじめられているのは、自分の子供の側にそれなりの理由があるはずだ」というスタンスに立つことである。一般的に、自分の子がいじめに遭うと、担任に相談する→いじめの存在を認めさせる→いじめの主犯格を見つける→いじめの主犯格を叱る→いじめが無くなる・・・といった経過をたどるのではないだろうか。ただ、身体的欠陥をついたいじめ、人種差別によるいじめ、貧富の差によるいじめ等であれば、これでいいかもしれないが、もしいじめられる側に問題が潜んでいれば、これでは何も解決しない。多分、時の経過と共に同じ事を繰り返すであろう。だから、私であれば、まず担任に対して、「どうもうちの子がいじめられているようです。私は親だから、どうしても自分の子をひいき目に見てしまうため、なぜ、うちの子がいじめられているかわかりません。ただ、多分、うちの子が、皆に不快な思いをさせるような何かをしたのでしょう。先生は、そのことで何か思い当たることはありませんか?」と聞くことから始める。勿論、自分の子には、いじめを無くすための戦略として、こういった聴き方をするよということを、十分に説明しておく必要がある。そうしないと、子供が「親も私を信じてくれない」と思い、余計に事がこじれる。

先生から、思い当たる内容が出てこなければ、いじめっ子に対して同じ事を聞く。「うちの子が君に嫌な思いをさせたんだと思う。ごめんね。二度と君に嫌な思いをさせないように指導するから、その内容を教えてくれないかな・・・」と言うのである。ここで、その内容を話してもらえたらむしろラッキーである。

自分の子供にはやや辛い面もあるが、自分の嫌なところを知るのは大切であり、人間としての成長につながる。今後はそれに気をつければ、いじめられることは無くなるはずである。自分の子の嫌な点を指摘してもらえない場合でも、しばらくはあくまでも「自分の子の嫌な点」を主題にその子と話をするのである。決していじめる側を非難してはならない。そして、何度話しても自分の子の非を指摘してくれなければ、「それじゃあ、なんでうちの子はいじめられるのかな?」と話すのである。結論は、「いじめる方が悪かった」になるかもしれないが、こういったやりとりをしていけば、いじめる子の側も反省するようになり、再犯率も減るのではないだろうか。

学校は、いじめる側が悪いのか、いじめられる側が悪いのか、わかっていると思う。ただ、親がアホだから、どうしてもいじめられる側が悪いとは言えないのだ。だから、真実を見極めるためには、まず、いじめられている自分の子が悪いというスタンスに立って解決にあたることが大切なのである。

ここでもう一つ大切なのは、自分の子供の悪さがはっきりしたとき、それで親が子供をしかってはいけないということである。多くの場合、反省すべきは親なのである。子供が他の子供に不快な思いをさせるのは、ほとんどが親から受けるストレスが原因である。親の離婚、親の不仲、医者になれと押しつける、兄のようになれと押しつける、子供に愛を感じさせない教育・・・・。なぜ、自分の子がそういったことをしてしまったのか、その原因は親にあると考え、反省すべきなのである。

子供の教育は親の役割であり、学校の役割ではない。子供が不良化する原因は99%親のせいであり、学校のせいでも友達のせいでもない。そして、いじめの原因も99%親のせいである。とにかく、親がそういったスタンスにたたないと、決していじめはなくならないし、子供の不良化もなくならないと思う(万引きの第一歩は、親に対する愛情確認です)。

→ちなみに私の職業は教師ではありません。念のため・・・・・

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2006年7月13日 (木)

いじめについて1

先日、友人から電話があり、いじめについての相談をうけた。“どうも娘がいじめを受けているらしい”という。中学2年の娘さんである。顔は美形、スタイルもよい、成績は学年で1~2位を争う実力、運動神経も良い・・・ってなわけで、非の打ち所がないじゃん。「そんな子がなんでいじめられるの?」と聞いたら、「わからない」との返事。

私は、いじめについて考えるとき、勿論いじめる側の方が悪いのであるが、いじめられる側の非も必ず考えるようにしている。肉体的な欠陥をついたいじめ、人種差別によるいじめ、貧富の差によるいじめ等は明らかにいじめる側に問題があるのだが、それ以外のケースをよく調べていくと、意外にいじめられる側にも問題があるケースが多い。また、学校の立場として、いじめられる側を悪く言えないため、どうしてもいじめる側だけを叱りつけて終わってしまう。

いじめられる側でよくあるケースが、すぐ自慢する子である。何かにつけて自慢する子は、間違いなく嫌われる。また、威張る子、すぐ暴力を振るう子も嫌われる。そして、おとなしい子や不潔にしている子等は、ストレスを発散したいいじめっ子の対象になりやすい。おとなしい子は別にして、通常は何か他の者に嫌な思いをさせる特性をもっていて、それをきっかけにいじめられるのである。基本的に、明るく陽気な子でいじめられる子はいない。また、いじめられる子は、自分で気づかないうちに他の者に嫌な思いをさせているケースが多く、自分では、なぜ、自分がいじめられているかわからないのである。

相談の娘さんは、色々と話を聞くと、小学校卒業時に中学受験をし、非常に熱心に勉強をしていたのだが、性格の弱さから滑り止めを含めて受験した8校全て落ちてしまったとのことである。その時の母親の落ち込みは激しく、本人もかなり落ち込んでいたらしい。その子に直接話を聞いたわけではないので、事実は不明であるが、ここで考えられるのが、彼女は不本意な気持ちで公立中学へ進み、その気持ちが他の生徒たちに伝わってしまった可能性があるということである。つまり、「私はこんなところに来るべき人間じゃないのよ」「あなた達と私は違うのよ」といった考えが、心のどこかに潜み、それが知らず知らずのうちに同級生に伝わってしまったのである。本人はそのように思っていないつもりでも、いつのまにかそういった思いが出てしまう可能性は否定できない。実際、私立の中学を落ちて公立に進んだ子がいじめられるケースとして、最も多いパターンのようである。この場合、親は「公立へ入ったから(レベルが低い奴がいっぱいいるから)、うちの子がいじめられるんだ」と考える。

まあ、中学から私立を受験させるような親の発想はこの程度だと思うが、これは明らかに自らいじめられる原因を作っているわけであり、いじめられる側に非があるのである。そして、親も周りの親に対して「うちの子はこの中学に来るはずじゃなかったのよ」と吹いて廻っている可能性は十分にある。前に「いじめっ子、いじめられっ子を作るのは親である」と書いたが、親によるストレスが原因で他の子をいじめたり、いじめられたりしている子は、かなり多いと思う。ストレスがたまれば何か自慢することでストレスを発散する、威張って発散する、暴力を振るって発散する・・・こういったことで、いじめる側にもいじめられる側にもなるのである。

中学から私立を受験するのは勝手だが、子供に「公立はアホ」といった教育をしてはならない。私はお受験大嫌い派だが、自分の娘には誇りを持って公立へ行くように指導した。前にも述べたが、そもそも公立とは様々な人間が来るところであり、だから人生勉強になるし、楽しいのである。ただ、本気で楽しむには、明るく陽気な性格でなければならない。陽気で明るい性格であることが、公立で楽しむための必要条件である。うちの娘が陰気な性格なら、公立では楽しめないから私立に行かすことも考えたかもしれないが、陽気なので「これなら公立でも大丈夫」ということで胸を張って公立へ行かせた。「私立に行く必要が無くて、本当に良かったな」と何度言ったかわからない。「公立はアホ」という教育をしていて、やむをえず公立になってしまったとき、子供は「なぜ、俺がアホの仲間入りをしなければならないんだ」と思ってしまうであろう。大学生なら東大落ちて「おれはここにいるべき人間じゃないんだ~」といっている奴がいても、「仕方ね~だろ」で済むが、未熟な中学生の場合、いじめに発展する可能性は十分にあるのである。

だから、私は小学生・中学生レベルで、子供同士の格付けにつながるお受験というものが大嫌いなのであるが、さあ、それでは自分の子がいじめられたらどうすればいいのだろうか?それは次回に述べたいと思う。

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2006年6月 9日 (金)

お受験について3

大学附属の小学校、中学校なるものがある。まあ、早稲田、慶応クラスの附属小学校・中学校に行かせるのは、まだ理解できなくもないのだが、よくわからないのが2流、3流と思われる大学の附属小学校に行かせている親である。武蔵大学の附属は別にして(武蔵大学の附属中学校・高校から武蔵大学へ進学する人は皆無である)、本当にそのまま大学に行ってしまっていいのかと、非常に疑問に思う。

また、附属から大学に進学してきた奴らの多くが、受験組と大きな学力差が生じていることは前に述べたが、安易な気持ちで附属に行かせるのもどうかと思う。子供を附属に行かせる親は、「受験勉強が大変だし、思いっきりスポーツをやらせてあげたいから、そのまま大学に行ける附属がいいわ。」という理由を述べている。確かに附属から進学している奴らを見ると、さほど勉強しなくても大学に行けているというのがわかる。テストでそこそこの成績を収めていればいいわけだから、受験勉強するよりははるかに楽である。ただ、これは本当に子供のことを思っての言葉だろうか。私は、子供ではなく、実は親自身が楽をしたいから附属に行かせているのではないかと思えてならない。受験生をもつ親はかなり大変である。TVを観ながら大声で笑っていると子供に「うるさい」と怒られそうだし、かなり子供に気を遣わなければならない。まあ、気を遣いすぎるのもどうかと思うが、やはりある程度は気を遣わざるを得ないであろう。一生懸命勉強したのに、ことごとく志望校に落ちる事態がおきたとき、なんて子供に声をかけてあげればいいのか。確かに想像するだけでも、嫌である。合格発表の結果を待つ親の気持ちは、子供よりも辛いかもしれない。

ただ、そういった苦労を、子供と共に享受するのが親のつとめではないだろうか。子供と親が一緒に苦労する。そうやって、親と子供の絆が強くなっていくようにも思う。子供を塾に行かせるのは親の免罪符だし、附属に行かせるのは親が楽をしたいからではないか。

私は、前に述べたように一浪している。今思い返せば、一浪していた1年間は、これまで生きてきた中で最も充実した1年間だったように思う。とにかく、勉強以外のことは何をしていても楽しいのである。ひろしのギャグではないが、サイコロを転がしているだけで、いつのまにか3時間経っていたことがあった。浪人仲間とどの参考書がいいかを語り合い、時には息抜きでキャッチボールに興じた。勉強の合間に、一緒にコンビニに行ったりもした。確かに勉強することは辛いのだが、それ以外は全て楽しいのである。夏休みに仲間と図書館に通い続けた日々は、最高の思い出となっている。

浪人は、確かに人生で損をした気がするが、決して無駄ではない。勿論、挫折してパチンコにはまるやつ、そのまま大学進学をあきらめる奴もいたが、ほとんどの仲間は有名どころの大学に進学した。皆、未だに定期的に集まってお酒を飲み、当時の苦労話に花を咲かせている。あえて浪人する必要はないが、浪人の1年間は決して人生にとってマイナスではないし、むしろプラスである。「苦労は買ってでもしろ」ではないが、自分は、「浪人は買ってでもしろ」と言いたい。

また、小学生や中学生では、どこの大学に行きたいかがはっきりとわからないのではないだろうか。何を学びたいか、何をやりたいかも決まっていない子供がほとんどと思われる。どの大学の附属に行くかは、ほとんどのケースにおいて親のエゴで決めることになる。例えば早稲田には医学部がない。医者になりたいと思っても、早稲田の附属に行けば、早稲田を飛び出さない限り医者にはなれないのである。立教も同じである。まあ、立教であれば高校から飛び出て、どこかの医学部に進学することも考えられるが、早稲田を飛び出すのはかなり勇気が要るであろう。親は確実に“もったいない”と思う。

子供が自分の意志で大学を選べるようになるのは、やはり高校生くらいになってからと思われる。そして、浪人も決して無駄ではない。確かに、子供がどこも合格しない状況になることは怖いが、子供を信じてあげましょうよ。そして、子供と一緒に苦労してあげましょうよ。一緒に悩んであげましょうよ。だから、自分は子供を附属に行かせる気はない。公立中学、都立高校がいいんです。浪人してもいいんです。

余談ですが、先日、電車の中でこんな光景をみました。中坊らしき小僧が、偶然電車で友達に出会い、そこでの会話。小僧:「おめぇ、どこの中学に行ってんだよ?」。 友達:「成城学園だよ。」 小僧:「へっ。成城?俺なんか早稲田実業だぜ」。明らかにその小僧は、お前より俺の方が格が上という話し方をしているのだ。救いようのない糞ガキ。中学生の分際で、もう友達を格付けしている。自分の子供には、こんな風になってほしくない。むかつくガキのお話でした。

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2006年5月19日 (金)

塾について

自分の2人娘は、塾に行っていない。まあ、もともとうちの2人娘は塾に行く気がないようだが、基本的に私は塾が嫌いである。塾に通っている子供たちが多いのは、前に述べた通りである。早○田アカデミー、ト○マス、栄○ゼミナール、そして公○式だか苦悶式だか知らないが、あれは塾の先生の促成栽培だろ。そして、どこで調べたのかわからないが、やたらとうちの子供らにDMが届く。塾の必死さが窺える。それもそのはず、時代は少子化にまっしぐら。子供の数が少なくなれば、塾にとっては死活問題である。

当然、塾はどうするか考える。今の子供たちをどうやって塾に通わせるか・・・。そうなんですよ。そのために必要なのは、少しでも多くの子供たちに“お受験”に向かわせることなんですよ。アホンダラ。とある塾のPR文句「今や、3歳から勉強しなければ東大に入れません」。はぁ?3歳から???何の根拠があって、こんなことを言っているのだろう。

そのような中、文科省は、「ゆとり教育」を展開。私は、このゆとり教育というものに賛成であった。文科省も、たまにはいいことやるじゃん。役人にしては、国民のことを考えてるじゃん。勉強ばかりしている子供たちに疑問を感じていたし、勉強をしない子供たちは、取り残されるばかりであった。教師の側も学問を教えることで手一杯で、こころの育成にほとんど着手できない状況であった。そんな中、「子供たちよ。確かに勉強も大事だが、もう少しゆとりを持とうよ。前ばかり見ないで、振り返るゆとりを持とうよ。友達と遊ぶことも大切だよ。家族とお話しすることも大切だよ。先生は、勉強だけを教えるのではなく、子供の心の成長にも目を配ってね・・・」との国からの通達。私は、これがゆとり教育の基本的考えと理解していた。3人に一人がこころを病んでいると言われている世の中だもの、子供にゆとりをもたせるのは大切ですよ。勉強だけではなく、子供のこころにも積極的に目を向けましょうよ。そうすれば、子供の犯罪が減るんじゃないかな、すぐに死んじゃう子が減るんじゃないかな、すぐに切れる子が減るんじゃないかな、友達を殺しちゃう子が減るんじゃないかな・・・素晴らしいじゃないですか。ほんとに素晴らしい!!!ところがである。塾はこれを悪用しはじめたのだ。「こんなゆとり教育をしていたら、子供が馬鹿になりますよ。現に欧米に比べて、子供の学力が低下してます。塾に行って勉強を補わないと、大変なことになりますよ。それに、そんなゆとり教育をしている公立に行かせてはいけません。私立でちゃんとした教育を受けさせないと駄目です」。

見事にこの戦略にはまったお母さん方。「私立に行かせるために、塾にいかせなきゃ」。ゆとり教育でできた時間に、子供は塾に通うことになった。私立の小中学校も、生徒を獲得するためのチャンスとばかり、ゆとり教育を批判し、自分のところに生徒を集めようとPRを展開する。塾と私立の小中学校がタッグを組む。マスコミもこれに便乗してゆとり教育を批判。そして・・・・・そして・・・・ついに文科省は、ゆとり教育の見直しを決めました。やっぱり単なるお役所だったか。そもそも、ゆとり教育の目的は何だったのか。こどものこころの育成に目を向けることではなかったのか。ゆとり教育である程度学力が低下するのは、やむを得ないことだし、それははじめから分かっていたはずではないか?そして、学力をある程度犠牲にしてこころを育むのが目的ではなかったのか?あ~情けない。

こどものこころに目を向けたゆとり教育。私は大賛成でした。それを自分たちの私利私欲のために骨抜きにしてしまった塾、私立の小中学校、一部のマスコミを私は許せない。奴らは偉そうに子供の教育について語っているが、本当に子供のことを考えていれば、そんなことはしないだろ。だから私は子供を塾にも私立の小中学校にも行かせません。あ~気分悪い。

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お受験について2

私が一番危惧しているのが、「地元の中学校に行かせると馬鹿になる・不良にある」との考えを、多くの親(特に母親)が持っているという点である。確かにうちの娘は地域の公立中学校と公立小学校に通っているが、特に中学校には不良がいっぱいいるし、地元の評判も芳しくない。それでも私は、前述の理由から小学校で受験勉強をさせる気がなかったというのもあるが、娘を喜んで地元の公立中学に送り出した。

「馬鹿になる」との意見は論外だが、「不良になる」との不安は理解できなくもない。確かに、腐ったミカンの論理ではないが、不良が多いところに入れれば、不良になる可能性は高まる気がする。ただ、私が思うに、子供が不良になる原因の99%は親のせいだと思っている。これは、統計的に調査したわけではないので、正しい数字ではないが、言い方を変えれば、親はそのように考えておいた方がいいということである。最も悪いのは、“両親の不仲”である。親の離婚がきっかけで子供が不良になるケースは非常に多いと思うし、私の友人で不良化した奴らは、全員親が離婚している。子供が家に帰ると、両親はいつも喧嘩している。父親は、ほとんど家に帰らない(仕事であっても駄目)。父か母のどちらかが浮気をしている(ばれなければいい)。親がこういった状況にあれば、当然、子供は反発したくなる。そして駄目親の例。両親とも仕事に出る(これは仕方がないケースがあるかもしれないが、子供が寂しい思いをすることには変わりがない。なぜ両親ともに働かなければならないのかを、しっかりと子供に理解させる必要がある。とても難しいことである。)。子供に「お前は○○の子供なんだから、考えて行動しろ」と言う。この○○に入るのは、警察官、医者、教師、弁護士、政治家など、先生呼ばわりされる職業が挙げられる。とにかく、子供が不良に進む第一歩は、親の愛情に対する飢餓感から始まるのだ。

それでは、親の愛情ってなんだろうか?簡単に言えば、“子供を愛する心”であるが、これが非常に難しい。「お前には最高の教育を受けさせたいから私立に通わせてるんだよ。お金がかかるけど、お母さんも一生懸命働いて学費を稼ぐからね」という台詞。一見、愛情にあふれているようだが、子供にとっては、母親が家にいてくれる方がどれだけ嬉しいか。子供を理由に、オメーの欲望を満たしてるだけだろ!と私は言いたい(女性に社会に出るなと言っているわけではない。女性の社会参加論については改めて述べることにする)。「お前が寂しくならないように、欲しいものは何でも買ってあげるからね」という台詞。これは論外であるが、意外にこういった親は多いのではないか。小中学校の時期に携帯電話を買い与え、通話料も払ってあげているような親は、これと大差ないと思う。こういったのは間違いなく愛情ではない。私が思うに、愛情とは“少しでも子供と一緒の時間をつくってあげようと努力すること”だと思っている。いつもべたべたする必要はないが、そういった姿勢を時々でも示していれば、子供は感じ取ってくれるはずである。私は、小学校1年で父親が死に、小学校から母親が働きに出ていたが、私の母親は飲んで帰ってくることがほとんど無かった。それだけのことだが、「早く帰って、子供にご飯を食べさせなきゃ」という姿勢が痛いほど感じられた。だから、母親の愛情を痛いほど感じられたし、不良になる気は全くおきなかった(不良の友達は、中学校、高校と沢山いたけど)。それに習い、私はとにかく食事はできるだけ家族でするように心がけている。サラリーマンではないので、今まで、夕食はほとんど家族で食べている。基本的に、子供は寂しがり屋であり、いつも自分を見ていてほしいのである。だから、親が自分を見てくれていないと思えば、その確認をする。それが、ちゃんとした訴えであればいいけど、不器用な子供は、万引き等の不良行為に走ることで、本当に自分を心配してくれるのか確認するのである。そして、それが癖になり、果てしなく不良化していく・・・。

私は声を大にしていいたい。基本的に親がちゃんとしていれば、子供は不良になんかなりません。ただ、このちゃんとしているというのは、ちゃんと働いているとか、高学歴であるとかといった意味ではないですよ。両親が仲良しで、いつも子供の近くにいようと努力してくれている親のことです。

次にいじめの問題。「あんな公立中学に行けば、うちの子がいじめられるのではないか」という不安。私は、子供がいじめられる原因の80%は、いじめられる子供のせいだと思っている。80%とちょっと控えめなのは、現実として、身体障害があるからいじめられるとか、精神障害だからいじめられるとかがあるからである。それは別にして、いじめられる子には、それなりの理由がある場合が多い。すぐに自慢する子、裏と表がある子、すぐに切れる子、すぐに暴力をふるう子・・・。でも、こういった子の多くはストレスが原因でそいった行動に出ており、そしてそのストレスをかけているのは、やはり親なんですよ。前に述べたように子供に寂しさを感じさせている親。勉強の仕方を教えていないのに、勉強しろとしか言わない親。申し訳ないけど、私の経験では、先生と呼ばれる職業の子供に、嫌な奴が多い気がする(もちろん、いい奴もいた)。親が子供に過剰なストレスを与え、子供がそれをコントロールできなくなり、嫌な奴へと変貌してしまう。そして、いじめられっ子、いじめっ子へと走っていく・・・。

私は声を大にしていいたい。基本的に親がちゃんとしていれば、子供はいじめっ子にもいじめられっ子にもなりません。ただ、このちゃんとしているというのは、ちゃんと働いているとか、高学歴であるとかといった意味ではないですよ。両親が仲良しで、いつも子供の近くにいようと努力してくれている親のことです。くどいぞ。

そして、学校に不良がいると言うことは、子供にとってとてもいいことなんですよ。社会を見てください。ヤクザやちんぴらみたいな方々が、うろうろしている。世の中には、色々な職業の人、色々な考え方の人、色々な知能指数の人がいるんです。医師、弁護士、役人、教師、サラリーマン、自転車屋さん、酒屋さん、電気屋さん、ヤクザ屋さん・・・そして、社会に出れば、こういった色々な方々と渡り合っていかなければならないんです。だいたい、役人や教師などは、自分と同じ職業の人としか飲みに行かない。どうも、それ以外の職業の人間は、下等だと思っているふしがある(これも、全てではないですよ)。私は、自分の子供を、そんな子供にしたくない。学問の前に、世の中には色々な人間がいるということを学ばせ、どうやったらそういった方々と仲良くできるか、どうやったらそういった方々と渡り合っていけるかを学んで欲しいのです。それには、公立はうってつけですよ。

こんな母親を見ました。子供の前で電線工事のおじさんを指さし、「公立中学(ここには地元中学の具体的な名前が入ります)に行くと、あんな人になっちゃうのよ」。はぁ?電線工事のおじさんがいるから、おめーらは電気器具を使えるんだろが!「ああいった危ない仕事をしているおじさんがいるから、アンパンマンを観られるのよ」と言うべきだろが!!!これは、大大大大大馬鹿親ですね。そして、うちの娘の公立小学校に、精薄児童のための学級ができることが決まったとき、「うちの子供に何かあったらどうするの?」と怒鳴り込んできた親がいたそうです。これも、大大大大大馬鹿親ですね。確かに日本人の多くは精神薄弱に対する理解が乏しく、誤解している方が多いようですが、精神薄弱の子供はとても純粋で、皆いい子なんですよ。統合失調症などの精神障害とごちゃまぜにしてるんですね(統合失調症でも、攻撃的な方は一部です)。自分の子供にそれを理解させるのにとてもいい環境になろうとしているのに・・・。要は、小学校、中学校から純粋培養で育つと、そんな親になってしまうわけですよ。いくら東大に入っても、そんな世間知らずじゃ話にならないわけで、その辺りのところが全く理解できていない親が多いのです。

だから私は、子供を私立の小学校・中学校へは絶対行かせません。

まだまだ、書きたいことがあるので、つづく

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お受験について1

私は昭和37年生まれであるが、こどもを取り巻く教育環境は、私たちの時代と大きく異なってきている。前に述べた英語教室をはじめ、ピアノ教室、サッカー教室、スイミングクラブ、絵画教室・・・・・など、習い事をしている子供の多さに驚かされる。私が小学校の頃は、学年(250名程度)でスイミングクラブに通っている児は1~2人程度だったと思う(ちなみに、彼らは水泳大会でスーパースターでした)。そして、今は塾に通っている児も異常に多い。まあ、それだけ日本人が豊かになったということだろうが、その一方で、「教育にお金がかかりすぎるから子供を生まない・生めない」という声もあり、“なんか変だよな”と思っている。

そして、一番の驚きがお受験組の数の多さである。うちの子の小学校(もちろん公立)は、現在3クラスしかないが、何とその半分近くが私立に行くというのだ。はぁ?私立?。そして、小学校・中学校から私立に行かせようと考えている親の言い分はこうである。「子供には、最高の教育環境で勉強させてあげたい」「教育は子供の財産になるものだから、教育に少しでも多くのお金をかけてあげたい」。ふ~ん。こういうのもある。「小さい頃に苦労して私立の学校に入っておけば、あとは受験勉強がないから楽」(これは大学附属の小中学校)、「東大に入れるには、ここしかないから」。あっ、そう。そして、ひどいのになると、こういう考えもある。「地元の中学校に入れると、馬鹿になるから・不良になるから」。ため息。

ちなみに私は、またまた申し訳ないが、小学校から私立に行かせる親を「大馬鹿親」、中学校から私立に行かせる親を「馬鹿親」と呼んでいる。習い事や塾に通っている児の多さは、この私立志向の(大)馬鹿親の多さに比例しているようである。

そもそも、なぜ私立なのか。私が思うに、まず「子供には、最高の教育環境で勉強させてあげたい」「教育は子供の財産になるものだから、教育に少しでも多くのお金をかけてあげたい」との親の言い分をみても分かるように、“勉学”にしか目がいっていない。まあ、かつて日本は学歴社会だったから仕方がない面もあるが、子供には学歴以前に学ばせなければならない大切なものがあるのである。小学校を受験させるとすれば、早ければ3歳、遅くとも5歳から受験勉強をはじめさせることになると思うが、この3歳~5歳、そして小学校という時期は、子供の“こころ”を育む上で、とても大切な時期である。そして、この“こころ”は、親や友達と遊ぶことで育まれるのである。どうすれば友達が沢山できるのか、どうすれば友達と仲良く遊べるのか、どうやって友達と喧嘩するのか、どうやって仲直りするのか・・・などなど、友達と遊ぶことで学ぶことが山ほど有るのである。私は、この時期は勉学よりもむしろそいったことを学んで欲しいと思っている。特にTVゲームしか遊び方を知らない子供が多いので、3~5歳で友達と遊ぶことは、コミュニケーション能力の育成という意味で非常に重要だと思う。また、小学校から私立に行っている子供を何人か知っているが、地元の小学校の子供は、地域の子供と毎日楽しそうに遊んであるのに、私立の児は近所に友達がいないため、いつも一人で遊んでいる(全ての児がそうではないと思うが・・・)。どうみても可哀想な気がする。

次に「小さい頃に苦労して私立の学校に入っておけば、あとは受験勉強がないから楽」(これは大学附属の小中学校)、「東大に入れるには、ここしかないから」との言い分。まず、「受験勉強がないから楽」とあり、これは一見、子供のためを思って言っているようだが、実は楽をしたいのは親なんじゃないだろうか!確かに、子供の受験勉強の機会が減れば、子供も親も楽である。私は、高校受験、大学受験を経験しているが、確かに大変だった。親も、大変だったと思う。ただ、「それくらいの苦労は、親も一緒にしてやれよ」と言いたい。今思い返せば、大学の受験勉強をしていた1年間は、ある意味、今までの人生の中で最も充実していたように思う。受験勉強以外、何をやっても楽しいのである。ヒロシじゃないけど、サイコロをころがしていて、いつのまにか3時間経っていたこともある。友達と毎日図書館に通い、どの参考書がわかりやすいだの、どの問題集が使いやすいだの、色々と情報交換をしあいながら過ごした。友達はライバルであり、仲間なのである。これを友達に教えれば、こいつが合格して俺が落ちるかもしれないなんて考えは微塵もなかった。みんなで合格しようという雰囲気で勉強していた。己の成長という意味でも、貴重な1年であったように思う。私は、ぜひともあの経験を自分の児にもさせてあげたい。それから、余談になるけど、自分の大学にも附属の小中学校があったけど、附属から上がってくる奴らは、一部を除いて可哀想なくらい頭が悪かった。サークルによっては、“附属高校出身者お断り”のところがあったくらいである。小学校の時は頭がよかったのかもしれないが、普通に勉強していればそのまま大学に行けると言うことで、受験組とは大きな差がつく。これは附属出身者も話していたので、間違いがない。高校からよりも中学校から入学した奴、中学校よりも小学校から入学した奴の方が、頭が悪いようである。うちのかみさんも私と同じ大学であるが、かみさんの友人は、自分の子供を附属の小学校に行かせている。「おめ~、大学で奴らを見てきただろ。あんなになってもいいのか?」と私は思ってしまう。「東大に~」については、あまりにも馬鹿親の考えなので、コメントする価値もない。

はぁ~。このつづきは、また次回に・・・・・

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子供の英語教育について

ここでは子供の英語教育についての私見を述べてみたいと思う。今後も色々な方のご意見を伺い、加筆・訂正を加えていく予定である。まずはベースとなる意見を述べることにする。

最近、子供の英語教育を小学校から行うという動きがあるようだが、これには賛成である。これまで、我が国の英語教育は中学校からであったが、そのためかヒアリングやスピーキング教育が不足しており、文法や読み書き中心の教育になっていた。はっきりいって、楽しくない。小学校から教育をはじめれば、ヒアリングやスピーキングから始められるので、英語の楽しさを感じながら学べるようになるのではないだろうか。

ただ、最近の親の教育をみていると、3歳くらいから英語教室に通わせている親がいる。申し訳ないが、私はそういった親を「馬鹿親」と呼んでいる。3歳から英語教室に通わせている親の言い分は、大方、次の通りである。「3歳から英語を学ばないと、ネイティブな英語が話せなくなるから」。はぁ?ネイティブな英語? 自分の子供を国際人に仕立て上げたいらしい。まあ、だいたいこういった親は、自分自身が全く英語が話せない親が多い。根本的に私の考え方と大きな違いがあるのだが、果たしてネイティブな英語は必要なのだろうか? そもそも言語というのは、コミュニケーションの手段であり、通じればそれでOKというのが私の考えである。(藤原正彦氏も、「国家の品格」の中で似たようなことを述べていたような気がする)

また、この「3歳から~」というのも、完全に英語教室の宣伝、口車に乗せられている感がある。本当に3歳から学ばないと、ネイティブな英語を話せないのか。例えば、ネイティブな日本語を話す最たる方々をみてみよう。最初に思いつくのは相撲取りだろう。朝青龍などは、ネイティブどころか、日本人と変わらないくらいの日本語を話す。朝青龍は3歳から日本語を学んでいたのだろうか? デーブ・スペクターはどうだろう? 彼はさすがに英語圏のなまりがある日本語だが、かなり日本語がうまい。デーブは日本が大好きで、学生時代から日本語の勉強をしていたようだが、さすがに3歳から日本語を学んではいないだろう。つまり、必要に迫られて勉強すれば、朝青龍やデーブのようになれるわけで、3歳から学ぶ必要は微塵もないのである。(一方、ジーコは、10年以上も日本にいるのに、未だに通訳をつけている。ただ、ジーコは、日本語のヒアリングは完璧で、かなり日本語をうまく操れるようだ。マスコミに下手なことを話して問題にならないために、必ず通訳をつけているらしい。)

そもそも、米国人は、中国人なまりの英語、韓国人なまりの英語、日本人なまりの英語というものの存在を理解しており、ネイティブな英語を話さないことは、まったく恥ずかしいことではない。むしろ、デーブ・スペクターがそうであるように、多少なまりが有る方が、好感がもてるのではないだろうか。ちなみに、私はボビーオレゴンの日本語が大好きである。

次に、我が国は島国であり、いくら3歳から英語の勉強をしても、小学校、中学校と進むにつれて、英語をコミュニケーションとして使用する機会が激減し、忘れてしまうのだ(勉強を続ければ別だが、子供が成長するにつれ、親の言いなりにならなくなり、ほとんどの子供は英語教室をやめちゃうのではないだろうか)。私の知人で5歳までドイツにいて、ドイツ語がぺらぺらだったが、高校生になってすっかり忘れてしまったという奴がいる。全く覚えていないそうだ。とにかく言語というのは、使わなければどんどん忘れてしまうのである。それに、米国でその時に流行っている言葉やジョークなどがあり、これは米国にいないと理解できない。

私の友人で海外勤務になっている奴らは、皆、英語が上手くなり、ちゃんとビジネスをやっている。「こいつの英語力で海外に行って大丈夫か?」と思っていたやつも、一緒に海外旅行に行けば、私の通訳である。英語圏での勤務になれば、嫌でも勉強するし、1年もそこに住めばかなり話せるようになる。また、米国人の恋人ができれば、松田聖子のように英語が上手くなる。英語は、必要に迫られたときに勉強すればいいのである。まあ、お金が有り余っていて、使い道がないから3歳児から英語教室に通わせるというのであればいいが、私に言わせれば、3歳児なら、スイミングクラブとかもっと体力づくりの方面にお金をかけた方がいいのではないかと思う。

私が英語塾を経営していれば、間違いなく次のようにPRします。「英語は3歳から、いや2歳から習わせないと、ネイティブな英語は話せませんよ」。これは宣伝文句なんです。皆さん、惑わされないようにしましょうね。

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