2007年4月23日 (月)

消毒

退院前のH先生との歓談で、消毒について話をした。「自分で消毒してはNGですかね?」。答えは「NG」。傷口は骨まで達しているわけで、自分で消毒するのは危険とのことである。結局、1日おきに消毒のために通院しなければならない。家では、患部を濡らさないようにと注意された。だから、入浴は不可。シャワーはOKだが、必ず足にビニールを被せ、患部を濡らさないように注意しなさいとのことであった。念のため、「濡れてしまったらどうすればいいですか?」と聞いたら、「そんなことは無いと思うけど、濡れてしまったらすぐに病院まで電話を下さい。感染したら大変ですから・・・」ということであった。先生はけっこう深刻な顔で語っており、これは濡らしては大変である。

退院後の第一の楽しみは、とにかくシャワー。入院中はシャワーを浴びられなかったため、なんか身体が臭いような気がする。退院して家に帰り、すぐに足にビニールを被せ、シャワーを浴びた。「気持ちいい~」などと思っていたら、何かビニールを巻いている足が濡れているような気がする。ビニールを巻いて、ガムテープを巻き付けたからそんなことはあるまいと思っていたが、ビニールをはずすと、なんと包帯がかなり濡れている。ビニールと足の隙間から水が流れ込んだようだ。うぎゃ!!!やばい。顔面蒼白。すぐに病院に電話。アンラッキーなことに、今日はH先生は休みである。病棟に電話し、看護師jに事の成り行きを説明したところ、「他の先生に対応方法を聞いて、改めて電話します」とのこと。やばい。やばい。仕方ないから、包帯の上からドライヤーをあて、包帯を乾かしていた。そこで、病院から電話。「市販の消毒薬を買って、自分で消毒してください」とのこと。おいおい。H先生の言っていたこととかなり違うぞ。やはり、担当外の患者はどうでもいいのか・・・・。不安ながらも、包帯を外すと、患部の上につけたガーゼはさほど濡れていない。「これなら、大丈夫かな」と思い、消毒することなく、乾かした包帯をそのまま巻いた。

2日後に消毒の予約を入れてあったので、それまではけっこうドキドキだった。2日後に消毒のため、通院。処置室に入って消毒。自分の心配は杞憂であった。「傷口はキレイですよ。ちゃんと乾いてますし、何ら問題はありません」と言われ、再度包帯を巻かれた。「良かった~」。

今日は、ビニールを2重に巻いてシャワーを浴びた。入浴と飲酒は、抜糸してからならOKとのこと。抜糸は28日だから、あと5日間禁酒。28日は宴会の予定があり、解禁と同時にしこたま飲むことになりそうである。

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2007年4月19日 (木)

退院日

 4月19日。やっと退院日である。入院の疲れからなのか、それとも個性派爺さんに慣れてきたのか、昨夜は熟睡できた。9時に寝るという小学生のような生活に慣れてしまったのだろうか。
 とにかく、今日はやることがないので、午前中に退院を決める。持ってきた仕事は終わっちゃったし、本も読み終えた。仕方がないから、午前中はずっとウォークマンを聞いていた(私はウォークマン派です)。
 10時頃、事務の方が来て、退院の手続きが完了したとのこと。最後の点滴をうって、片付けを済ませ、会計へ。費用は5万程度。思ったより安い。
 いやはや。やっと退院です。ちょっと寂しい気もするが、個性派爺さんともお別れです。お土産に、足に入っていたプレートをもらう。これは今度写真でアップします。
 自由だ~

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抜釘手術翌日

 導尿カテーテルも抜けたし、寝返りも打てるし、ほぼ普通の状態の人間に戻った。それにプレートと釘も無いのだから、サイボーグでもなくなった。ほんとうに、五体満足というのは素晴らしいことである。

 そして、待ちに待った朝食。パン、サラダ、マンゴーだけであったが、とても美味しかった。なんせ35時間ぶりの食事である。うめ~。豚のように朝食を食べた。

 基本的には、手術部位の痛みはほとんど無い。確かに骨折したときの痛みの1/100程度である。また、導尿カテーテルが抜けたので、トイレに行くついでに歩いてみた。術後初めての歩行と言うことで看護師も一緒だったが、ほとんど普通に歩くことができた。足をついたとき、少し痛む程度で、十分我慢できる範囲である。これなら大丈夫そうである。土曜日の横浜FC戦にも行けそうである。ただ、ゴール裏は無理かな。ゴールを連発され、跳ねることになったら大変である。いずれにしても、よかったよかった。

 ただ、オシッコをしたら、尿道がしみて痛かった。カテーテルが入っていたから仕方がないが、思わず顔をしかめるような痛みである。また、カテーテルを入れたせいか、膀胱に空気がたまっていたようで、それがオシッコの終わりにブブブブと音をたてて出る。まるでチ○チ○がおならをしているみたいである。本当に導尿カテーテルは嫌いである。

 退院は明日でも明後日でもいいようだが、とにかく早くこの特別養護老人ホームから抜け出したいので、明日にでも退院したい。オペ室で担当のH先生に聞いたのだが、大学病院の整形外科は、どこもこんなもの、つまり患者のほとんどが老人らしい。「GoMaさんのような若い患者は、珍しいですよ」と言われた。また、大学病院で骨折の治療を行うことは少なく、通常は他院に紹介してしまうようだ。私の場合は、かみさんがK大学病院で働いていたことがよかったようで、それでオペ室をあけてくれたらしい。つまり、大学病院で骨折や抜釘手術をする人は、コネのある人だけとのことである。そんなものなのか。だから、整形外科に若い患者さんは、まずいない。

 それにしても、整形外科の看護師は大変である。基本的には、動けない患者さんばかりだから、自分でトイレに行くことはできない。体位変換もできない人が多い。そのため、ナースコール爺さん以外の患者さんも、しょっちゅうナースコールを押している。私の目には、外科病棟以上に大変そうに見えた。徘徊爺さんは、やはり軽い精神障害があるようで、途中から「俺は飯を食わん」と言い出していた。精神看護まで求められており、本当に大変そうである。

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手術日2

病棟のベットに寝させられ、そのまま病棟へ。個性派の爺さん軍団が、何も変わらずそのままの個性で待ちかまえている。ただ、今回はそれどころではない。独り言、いびき、徘徊、TV・・・そんなことはどうでも良い。なんせ、まだ麻酔が切れていないため、下半身が全く動かない。寝返りがうてない。そのため、妙に腰が痛い。腰から下側に麻酔が効いているのだが、なぜか腰は痛い。とにかく、腹が減った~。水でもいいから飲みたい。とにかく、9時までの3時間を我慢すれば、少なくとも水を飲める。

手術がうまくいったので、子どもと犬に餌をあげなければならず、かみさんは帰宅。一人になって頼りになるのは看護師さんだけである。とにかく、腰が痛い。寝返りをうちたい。「寝返りをうたせてほしい」とお願いするためにナースコールを押すか・・・。なんか知らないが、今回入院してから1回もナースコールを押していない自分を妙に誇らしく思っていた。これは、ナースコール爺さんの影響も大きいと思う。ああいう爺さんにはなりたくない。ただ、あまりにも腰が痛いので、ナースコールを押した。すぐに看護師さんが来てくれた。「腰が痛いのですけれども、寝返りをうてなくて・・・・」。看護師さんは、「わかりました」と言って、すぐに自分の体位を変えてくれた。よく考えれば、老人相手で体位変換はお手の物なのだ。ベッドにつかまって、一生懸命上半身の力だけで体位変換しようとしていた自分が馬鹿に見えてきた。

そうこうしているうちに時は流れ、やっと9時になった。少しだけなら水を飲むのを許された。しまった。かみさんに飴玉を買ってきてもらうのを忘れていた。仕方なく、水だけで我慢する。ひもじすぎる。

時間の経過とともに、順調に麻酔が切れてきて、右足をやっと折り曲げられるようになった。これだけでもかなり楽になった。そして、徐々に左足の感覚ももどってきた。それなりに寝返りもうてるようになってきた。ラッキー。かなり楽である。

しかし、それと同時に予想しなかった事態が。ち○ち○の先に導尿カテーテルをいれているのだが、これが妙に気になるのだ。ち○ち○の先が痛い。寝返りを打つと、引っ張られるような感じで、かなり痛い。実は、前回もこのカテーテルを入れていたのだが、その時は全く気にならなかった。それは、前回は骨折ですぐに痛み止めを使ったため、ち○ち○の先の痛みも和らげられていたのだと思われる。腰も同じである。今回は抜釘なので、基本的には痛み止めを使わない。だから、痲酔が切れると、導尿カテーテルの挿入感がはっきりとわかるのである。

股間から管が出ていて、それが尿バックにつながっているのだが、眠るとそれを蹴ってしまいそうな感じもあり、気になってなかなか眠れない。「管が外れて、オシッコまみれになったらどうしよう?」等とくだらないことを考えてしまう。仕方がないので、2回目のナースコール。「すみません。もう両足が動くようになったので、痲酔もほとんど切れたと思います。この導尿カテーテルを抜いてくれませんか?」もう、カテーテルを抜くのは誰でも良い。前回は、スケートの岡崎のような子で大喜びしたが、この際、婦長さんでも誰でもいいから抜いて欲しい。ところが、結論は×。膀胱は、痲酔から覚醒するのが一番遅く、朝までカテーテルを抜けないとのこと。ひぇ~。カテーテルを抜くと、膀胱に尿がたまっても、痲酔で尿意をもよおさない状態となり、下手をすると膀胱が破裂するそうである。前の会社で導尿カテーテルを作っていたが、そんな話は初めて聞いた。でも、仕方がない。結局、入眠剤をもらい、何とか眠ろうと努力した。しかし、いつになく隣のじいさんのいびきはでかいし、ナースコール爺さんは10分おきにナースコールを押し続けているし、突然TVがなり出すし、一向に眠れない。また、前回と違って痛みが少ないせいか、ち○ち○が余計な反応を繰り返す。反応すると、しこたま痛い。そこで、なんとか痛み止めの座薬をもらい、それを入れた。実は、手術した足の方は、軽くうずく程度で我慢できない痛みではない。痛いのは腰である。座薬を入れてほどなく腰の痛みが消え、なんとか入眠モードに入った。

 そのまま朝へ。早朝、「カテーテル抜きましょうね」と看護師さんが来てくれた。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!・・・と思ったら、眼鏡の看護師。別に眼鏡は嫌いではないが、インテリ風の顔をした看護師さんである。まあ、贅沢は言わない。ただ、カテーテルを抜くとき、なんか汚い物体をつまむようにわたしの股間をつまんでいたあの姿は忘れない。当然、何の反応もしない。あ~、ちっとも気持ちが盛り上がらない。

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手術日1

 今日も朝から雨。昨夜は、周りの個性的な爺さんのお陰で、ほとんど眠れなかったため、頭がぼーっとしている。午前中、1時間くらいは眠っただろうか。仕事をしたり、本を読んだり、眠ったりしながら、午前中をすごした。前日、コーラックを飲んでいたので、普通にウンチもでた。排便が無ければ浣腸だったので、一安心である。辛いのは空腹感。手術前だから、当然朝食を食べられない。そして、昼食も食べられない。隣の爺さんは、あいかわらず独り言を言いながら朝食を食べている。食後に独り言をいいながら、煎餅まで食ってやがる。「おお。固いな。この煎餅は固いんだな~」。こっちは腹ぺこだというのに・・・わけがわからない。何かむかつく。

 手術は午後とだけ言われており、時間は決まっていない。オンコールというやつである。抜釘はたいした手術ではないので、後回しにされるようだ。1時になっても連絡がない。2時になっても連絡がない。腹減った~。手術前に餓死しちゃいそうだ。1時すぎにかみさんが来たが、かみさんも「遅い遅い」とイライラし始める。結局、2時半頃オペ室から連絡があり、3時オペ開始とのこと。オペ着に着替え、ふんどしのようなパンツをはかされる。とても格好悪い。右足には、肺塞栓防止のタイツをはかされる。痲酔で右足が動かない状態が続くので、血液が固まり、肺塞栓になる方がいるようだ。怖い、怖い。そして、2時50分に、やっとお迎え。車椅子で行くのかと思っていたら、ちゃんとストレッチャーが用意されていた。歩いてでも行けるのに、なんか大げさな気がした。ストレッチャーに寝て、そのままオペ室に運ばれる。空腹だから、天井を見ていたらストレッチャーで酔いそうになった。

 エレベーターを2回ほど乗り継いでオペ室到着。K大学病院のオペ室は、なんと16室もあるらしい。左側の一番奥の部屋に運ばれる。麻酔医は、昨日来た女医と違って、男性の先生であった。脊椎麻酔時の痛みは、麻酔医の腕の善し悪しでかなり変わる。顔を見た感じでは、合格。説明に来た女性の麻酔医は、「多分、私が麻酔を担当します」と言っていたが、がさつそうな先生だったので、ちょっと良かったかなとも思った。

オペ室のベッドに寝かされ、心電図、血圧計など体に取り付けられ、いよいよ麻酔開始。背中を猫のように丸くして、背骨あたりに皮膚麻酔をし、その後腰椎麻酔用の針を刺される。ちょっと痛い。脊椎麻酔は、これで3回目だが、今までの中では一番痛みを感じた。ただ、ひどい痛みというわけではなく、十分許容できる範囲である。麻酔が終わり、痛みに対する恐怖はこれでなくなった。一安心。だんだん足に感覚がなくなってくる。そして、ついに何も感じなくなった。ほんとうに麻酔の技術というのはすごいものである。今なら、間違いなく足を切り刻まれても痛みを感じないであろう。

 結局、手術を開始したのは330分。手術中、見習いと思われる若い麻酔医から「気分は悪くないですか?」と何度も聞かれたが、特に気分が悪くなることはなかった。ただ、空腹であるのが辛い。「腹減った」と言ったら、軽く笑われただけで、何もしてくれなかった。とにかく早く夕飯が食べたい。それだけである。

 抜釘手術は、2030分くらいと聞いていたが、30分を過ぎても終わる気配はない。「抜きにくい釘でもあるのだろうか」「ミスって再骨折しちゃったんじゃないだろうか」など、色々と考えてしまう。結局、手術が終わったのは5時。思ったよりも時間がかかったようだ。主治医のH先生が「無事に終わりましたよ~」と挨拶に来たので、「先生、腹減って死にそうなんだけど」と言ったら、下半身麻酔は当分抜けないから、9時までは水を飲んではダメ。また、明日まで食事もダメ。ちょっと待った~!まじっすか先輩!!!夕飯だけを楽しみにしていたのに。ひぇ~。ラーメン食べたいよ~。肉が食いたいよ~。「先生、せめて飴玉をなめるのはダメですか?」・・・・・・・「ダメ」という悪魔のようなお言葉。結局、今日は、朝から晩まで飲まず食わずである。辛すぎる。

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抜釘手術で入院

 いよいよ入院日である。骨折から1年。やっと抜釘にたどりついた。抜釘をする・しないは自由らしいが、抜釘をする人は、欧米人に少なく、日本人に多いらしい。自分は、骨折の時に緊急手術になったこともあり、ステンレス製のピンとプレートが入っているので(普通はチタンを入れる)、抜釘した方がいいようである。

朝の天気はくもり。かみさんも今日はK大学病院で仕事があるので、病院まで一緒に行くことにする。今にも雨が降り出しそうな天気だが、病院までは降らないだろうと勝手に決めつけ、病院まで歩いた。病院に到着して程なく雨が降り出す。なんとなく、運がいいかもしれない。

 入院受付で、保証金の10万円を支払い、いくつかの書類を提出して、病棟に案内される。前回は整形外科病棟にベットの空きが無く、外科病棟にまわされた。まわりのほとんどがガン患者であり、暗い雰囲気の病棟であった。今回は、整形外科病棟だから、さすがにそれは無いであろう。雰囲気も明るいかな。それに、同じようにサッカーで骨折した人とかいないかな~などと思っていた。

 案内された病棟は6人部屋。まあ、3日程度の入院だし、大勢いた方が友達になれて楽しいだろうなどと考えながら部屋に入ると・・・・・ひぇ~、自分以外全員70過ぎの爺さん!!!やばすぎるよ、これは。ここは特別養護老人ホームか?老健施設か?いずれにしても、やばすぎます。それで、担当の看護師さんは・・・???キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!。こちらは、不吹ジュンに似た感じの、可愛らしい方であった。うっしっし。「整形外科の看護師は可愛い人が多い」とK大学病院に勤務する友人から事前に情報を得ていたが、これは情報通りである。さすがW君!!

 何で爺さんばかりの部屋なんだろう?若い人の部屋は無いのだろうか?とにかくジタバタしても仕方がない。まずは、ここで我慢するしかない。とにかく、現在、足首に金属が入っていること以外、自分の体に悪いところがない。普通に歩けるし、食欲もある。周りの人から見れば、“何であの人は入院しているのだろう”という感じであろう。明らかに周りの方から奇異な目でみられている。いちいち説明するのも面倒だし、今日は1日PCに向かって仕事と決めた。

 お陰で仕事は順調に進み、入院中にやろうと思っていた集計作業が完了。思ったより早くできた。ただ、昨年の入院時は院内の無線ランに普通に入れたのだが(セキュリティ甘過ぎ)、今年はさすがにセキュリティがかかっている。これではメールもインターネットも使えない。残念。

 その後、明日の手術に必要な書類に必要事項を記入。・・・と、書類の麻酔法の欄に「全身麻酔」と書いてある。おいおい。足首の抜釘手術で全身麻酔はないだろ!と思い、看護師に尋ねると、「いえ、全身麻酔でオーダーが出ています」との返事。「そんなわけあらへんやろ。チッチキチー」といった気分である。その後、麻酔医(一応女性)が説明に来たので、本当に全身麻酔か?と尋ねたら、「脊椎麻酔でも全身麻酔でもどちらでもOKですよ。お好みなら硬膜外麻酔でもいいですよ!」とのこと。何だ、このいい加減な麻酔科医は!!手術中、意識があればオペ室を色々と見学できる。また、全身麻酔の経験がないので、全身麻酔を一度受けてみたい気がする。色々と悩んだが、やはり脊椎麻酔を希望した。背中に針を刺されるときは痛いが、全身麻酔ほどリスクは高くない。それに前回の手術で脊椎麻酔を経験しており、安心感がある。その後、主治医のH先生が来て話し合い、結局脊椎麻酔に決定した。

特にやることは無いので、本でも読んで時間をつぶす。また、明日の手術に向けて、9時以降は絶食、12時以降は水も飲めない。明日の手術開始予定は午後だから、午前中はかなりひもじい思いをすることになる。

そして夜。病院は9時消灯なので、9時に部屋の電気が消える。そこから、同室の爺さんたちの信じられない個性が発揮された。まず、独り言・いびき爺さん。自分の隣のベッドの爺さんである。昼は独り言の連発。夜は、ほとんどいびきをかいている。この爺さんはなかなか面白く、夜、ず~っといびきをかいていたと思ったら、ぱっと目を覚まし、「あ~、眠れない」と独り言を言うのである。十分寝てるだろ!こら! 次に、ナースコール爺さん。すぐにナースコールを押す爺さん。背中がかゆいという理由でナースコールを押したのには閉口した。また、間違いコールも多く、看護師さんもかなりいらだっている様子。院内徘徊爺さん。夜中に徘徊するじいさん。昼間は寝ていて、夜になると院内を徘徊している。一度階段でこけて、危険と言うことでその日の夜から夜中は手足を拘束されていた。この爺さんは昼に寝たいらしく、昼なのに看護師に睡眠薬をオーダーしている。さすがに看護師は「お昼に睡眠薬は出せません」と言って取り合わない。へこき爺さん。すぐ屁をこくじいさん。何か臭ってきそうで、とても嫌である。食事中もお構いなし。せめてすかしっぺにしてくれ。最後にTV爺さん。消灯後なのに大音量でTVをつける。自分ではイヤフォンをつけていると思いこんでいるらしい。・・・・・とまあ、こんな個性的な爺さんに囲まれてしまった。自分は繊細な神経を持っているので、こんな爺さんに囲まれて眠れるわけがない。やばいところに来てしまった・・・。結局、熟睡しないまま朝になってしまった。

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2007年3月18日 (日)

通院10

足首の手術から、ついに10回目の通院である。もう完璧に痛みがなくなり、足首にボルトが入っていること以外は健常者と同じである。そして、今日はそのボルトを抜く手術日を決める日である。先生は、火曜日と金曜日ならいつでもOKとのこと。3月は年度末で激務、4月になっても仕事が残るだろうから、なるべく遅い方がいいと思ったが、ゴールデンウィーク前には抜糸を済ませたかったので、4月17日に手術をすることにした。1週間ほど入院して、遅くとも28日には抜糸できるようだ。痛みは骨折手術の後に比べて1/100とのこと。一安心である。やっと抜釘です。長かったな~。しかし、本当にいい経験になったと思う。

患部のレントゲン写真をみる限り、骨折部に残っていた線がすっかり消失している。ほぼ、100%骨がついた状態になったようだ。

今日は、手術に向けて多くの検査が行われた。足首のレントゲンはもちろんのこと、膝のレントゲン、胸のレントゲンを撮った。膝のレントゲンは、少し痛みがあるから撮ったのだが、写真を見ると膝関節が少し削れてしまっているようである。サッカーをやっている人に多い症状らしく、運動をやることは体にはいいのだが、膝には悪いようである。それから、血液検査、血液の凝固検査、尿検査、心電図、肺活量測定・・・ちょっとした人間ドックである。しかし、肺活量測定までやるとは・・・。検査技師に、なぜ肺活量まで測定するのかを聞いたら、肺機能の状態をチェックするとのこと。麻酔科医の指示らしい。ただ、数多くの検査をしたため、費用が8000円を超えた。ひえ~。

抜釘術の内容やその後の経過については、また、このブログにまとめたいと思っています。皆さん、お楽しみに。

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2006年12月16日 (土)

通院9

今日は久しぶりの通院日。フットサル中に高校生と激突して左足首を骨折したのが忘れもしない4月1日だから、骨折してから8ヵ月以上経過したことになる。いつものようにK大学病院に行き、まずは左足首のレントゲン撮影。今日は、いつもよりもかなり混んでいる。年末になると骨折者が増えるのか?30分くらい待たされて、やっと自分の順番。撮影の時間は3分もかからないから、すぐに撮り終えて整形外科の外来へ。外来も混んでいる。しまった。本を持ってこなかった。30分以上待たされることを覚悟で、待合室の椅子に座る。斜め前のあんちゃんも足首の骨折のようだ。スタイルからしてサッカーだろうか。アホは自分だけではないと思い、なぜかにやける。周りの患者を観察していたら、10分ほどで名前を呼ばれた。ラッキー。思ったよりも早かった。

いつものようにH先生。足の手術をしてくれたT先生は、福島県の病院に異動になってしまった。福島の病院でも下っ端なので、苦労しているようだ。そういえば、異動したらメールをくれると言っていたが、未だにメールが来ない。医者はいい加減である。H先生は、T先生ほどではないにせよ、やはり若手の部類に属するが、なかなか話しやすいし、いい先生である。私は気に入っている。先生:「もう98%骨が付いてますね。問題ありません」。頬がゆるむような嬉しいお言葉。「釘の必要も無くなっています。いつでも釘が抜けますが、いつにしますか?」。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!。ついに抜釘じゃ。骨折して8ヵ月。このお言葉を待っていた。しかし、自分は来年の3月まで仕事が忙しいため、とても入院なんかできない。私:「4月くらいにやりたいんですけど・・・」。先生:「了解しました。それでは4月に抜釘をしましょう。」「では次回は2月に来てください。」

てなわけで、抜釘の日程も決まった。これでサイボーグではなく、普通の人間に戻れる。飛行機に乗る時も、ピンポンって鳴らないで済む。ただ、左足首をかばっていたせいか、最近、左足の膝関節が痛い。ついでに、今日の外来で診てもらったが、外見上は何でもなく、MRIを撮らないとわからないようだ。自分は足首に金属のプレートが入っているため、磁気を使って診断するMRIは使えない。MRIの機械に入ると、左足が張り付いてしまうようだ。膝の痛みを我慢し続けなければならない。これは、年齢的な問題かもしれないが・・・。(結局、湿布だけ処方してもらった。薬局に行ったら大量の湿布が出てきた。先生が気を利かせてくれたらしい。まあ、明らかに医療費の無駄遣いですが・・・)

とにかく、今年は怪我の多い1年だった。1月3日の初蹴りフットサル大会で左足の太ももを肉離れ。おかげでその後のハーフマラソン大会は散々な成績。そして、4月1日に左足首外顆骨折。手術、入院、車椅子。その後遺症か、最近は左足膝関節痛。それでも明日はフットサルの試合がある。足首にサポーターを巻き、膝にサポーターを巻き、太ももに肉離れ防止のサポーターを巻いている。ある意味、左足はボロボロの状態。年齢的にもかなりガタが来ている。でも、そうまでしてもやりたいくらい、フットサルは面白い。今や唯一の趣味だし。50歳まではフットサルをやりたかったが、このまま膝の痛みがとれなかったら、引退かな。むにゃむにゃ・・・。

もっと若いうちにサッカーと出会っていれば・・・と思う今日この頃である。

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2006年10月 5日 (木)

通院8

前回の通院は8月。2ヵ月ぶりの通院である。前回の通院で、結局サッカーの許可は出なかったが、患部をサポーターで固めてサッカーをしてしまっているのは、ブログに書いている通りである。正直言って、1ヵ月前まではサッカーの後に患部に痛みが残り、"ちょっとまずいかな・・・”と思っていた。ところが、3週間ほど前からきれいに痛みが消え、それどころか患部が全く気にならなくなった。甲のピリピリ感もかなり良くなり、タオルでこすっても大丈夫なほどになった。自分としては、「骨が完全に付いたのではないか」といった、そんな気分である。

いつものようにレントゲンを撮り、整形外科の外来に向かう。患者さんの数が少なく、いつもより空いているようだ。そのせいかすぐに名前を呼ばれた。多分、5分くらいしか待っていない。いつものように優しそうな顔をしたH先生。「調子はいかがですか?」と聞かれ、1ヵ月ほど前から急に痛みが無くなったことを話した。「それは良かった。いい意味で写真はあまり変わっていません。ただ、ひどく折れていたところが2箇所あり、そのうちの1箇所の線が消えており、こちらは完全に付いたようです。もう何をやっても大丈夫でしょう」。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!「何をやっても大丈夫」「何をやっても大丈夫」「何をやっても大丈夫」・・・・・。このセリフをどれだけ待ち望んでいたことか。

思い起こせば、左足首を折ったのは4月。あれからもう半年も経つのだ。やっと、普通の人になれた。驚いたことにH先生は、私がサッカーを始めていることを知っていた。実は手術をしてくれたT先生には、サッカーを内緒で始めていることをメールで知らせていて、それがH先生に伝わってしまったのだ。おしゃべり!!まあ、自己責任なので怒られることはないが、ちょっと気まずかった。「とにかく、無理をしないで、気をつけてサッカーをやってください」と言われ、なぜか「すんません」と言ってしまった。

抜釘は来年の春になるとのこと。手術してくれたT先生は、転勤で福島の病院へ異動になるようだ。ということは、抜釘のオペ担当はH先生かな。また足を切るので、せっかく良くなったピリピリ感が少し戻ることがあるようだ。それは辛い。ただ、釘を入れっぱなしにするわけにもいかないし、あきらめるしかない。

次回の通院は3ヵ月後。こんなに間隔が空くと、もう、通院を忘れてしまいそうだ。

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2006年8月 3日 (木)

フットサル復帰

7月30日(日)。ついにフットサル復帰を果たした。4月2日の左足外果骨折から苦節4ヵ月。やっとフットサルコートに帰ってきた。ただ、医者からは「あと2ヵ月は我慢してください」と言われているし、足首には6本のボルトが残っているので、完全復帰とはいかない。それでも、歩けなかった頃のことを思うと、夢のようである。嬉し~。

とにかく再度捻挫したら大変なので、左足首に捻挫防止用のサポーターを巻く。プラスチックの板が捻挫を防ぐ役割を果たしてくれるモノで、なかなかよくできている。シューズは足首への負担が軽くなるように、裏が体育館用のものを使用した。

久々にコートへ行くと、皆、復帰を喜んでくれた。“ちょこっとやらせてくれればOKだから”と言いながらコートにはいると、何と集まったメンバーが自分を含めて15人。丁度3チームじゃん。それも交代要員なし。結局、復帰早々、ずっと試合に出続けることになった。これは辛い。思うように走れないのは仕方がないが、やはり全力疾走して止まるときが怖い。かなり足首に負担がかかる。また、左足でパスを出そうとすると、思うようにボールが飛んでくれない。何度かヘボパスを繰り返し、チームに迷惑をかけた。無理をしない程度に・・・ということで、前線だけを担当し、ほとんど守備に戻らなかった。(決定力のないロナウド状態である。)

終わってみれば、2ゴール1アシスト。満足のいく結果だが、私に再度怪我をさせてはいけないと、誰もプレスをかけてこなかった。それを考えれば、ある程度はゴールを決められて当たり前である。

久しぶりにフットサルをプレイして、とても楽しかった。ただ、翌日は両太ももがひどい筋肉痛に見舞われた。ジムに行っているのに、この有様。やはり、ジムと実際のフットサルでは、使う筋肉が全然異なるようである。

皆さん、このことは私の担当医には内緒にしておいてくださいね。

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