2011年4月22日 (金)

娘達のダブル受験が終わって

遂に娘達のダブル受験が終わった。上の娘は早稲田大学に進学が決まり、下の娘は私の母校である都立高校への進学が決まった。どちらも第一志望への進学が決まったことで、娘達も親も大喜びである。東京大学についてはわからないが、少なくとも早稲田大学のレベルであれば、塾へ行かなくとも合格できる・・・・・・娘は見事にそれを証明してくれた。

今、思うのは大学合格に向けた勉強は、マラソンのトレーニングに似ているということ。小学校から進学塾に通い、大学受験まで一生懸命勉強するのもいいが、最初にとばしすぎると後でバテる。ピーキングをどこにもってくるかが大切であり、それは高校2年の後半から高校3年の時期だと思う。うちの娘は、高校3年の6月の時点で、模試の結果で早稲田大学の合格率は20%以下(E判定)であった。でも、そこから娘の勉強への意欲がピーキングに達し、高校の授業が終わった後、連日予備校の自習室で勉強し、その8か月後に合格圏に届いた。MARCHレベルの大学であれば、とにかく1年間予備校の自習室を活用して勉強すれば、かなりの高確率で合格の栄光を手にすることが出来ると思う。

幼少の頃から無理に塾へ行かせれば、子供は明らかに勉強を辛いと思うようになる。不思議なもので、私は子供に「塾へは行くな」と言っていたら、子供から何度も「塾へ行かせて欲しい」と懇願された。泣いて頼まれて、中学3年の時、仕方なく1か月間だけ塾とやらへ通ったが、結果的には何もならなかった。

小学校から私立へ行かせれば、親は色々な意味で楽である(金銭面は別にして)。ただ、友人の数では、明らかに公立に分があると思う。早稲田大学は、震災の影響で入学式が中止、授業開始もGW明けからである。うちの娘は時間を持て余しているが、連日のように友達と遊んでいる。昨日は小学校時代の友人、今日は中学時代の友人、明日は高校時代の友人・・・といった具合である。友達の多くが地元だから、連絡をすればすぐに集まるし、時には我が家へ泊まりに来て大騒ぎしている。

そして、自分で行きたいと思った大学を目指し、その栄光を勝ち取ったことで、娘は大いに喜んでいる。親が決めた大学ではなく、自分が行きたいと思う大学に、真に自分の力で入ったのだ。その嬉しさたるや、言葉では言い表せないくらいのものであろう。

娘は、何を血迷ったのか某進学塾の講師のバイトをやるようだ。ただ、研修を受けて、「小学校から塾へ行かされている子ども達が可哀想でならない。自分は偽善者になれない。やはり、塾の講師は自分には向いていないようだ」と言っていた。「一度自分で決めたバイトなのだから、とりあえずやってみろ」と話したが、そんな娘の言葉が嬉しくて仕方がない。

塾へ行かせなくて良かった。

お受験をさせなくて良かった。

公立の学校へ通わせて良かった。

今、私は心からそう思っている。

| | コメント (2)

2010年9月29日 (水)

ついに受験生

「私のお父さんは、塾が大嫌いだから、小学生、中学生と一度も塾に行かせてもらえませんでした。」
「私のお父さんは、習い事が嫌いだから、ピアノしか習わせてもらえませんでした。」

塾や習い事が大嫌いな偏屈なお父さんに育てられた娘が、ついに高校3年生になった。都立高校だから、受験生である。今やAO入試とか、推薦入学とか、受験勉強を免れて大学へ行く術が沢山あるようだが、「1年くらい、めちゃくちゃ勉強するときがあってもいいんじゃない」と話したら、娘はそれに賛同してくれたようで、真っ向勝負を挑む道を選択した。

かつて、かみさんの父親からは、「なぜ、子供の教育にお金をかけないのか?」と叱責されたが、親が子供の教育にお金をかけることは、子供に何らプラスにならないと考えている私は、これまで子供の教育にほとんどお金を使っていない。

塾へ行かせたくない理由は、前にこのブログで書いた通り。お受験が嫌いな理由も前にブログで書いた。後は、教育にお金をかけなかったうちの娘が、小学生の頃から塾まみれで育ってきた輩を相手に、どのように受験で戦っていくのか。そして、自分が行きたいと思う大学へ入学することができるのか。

かみさんの両親は、娘を小学校から立教女学院へ行かせたかったようだが、私は拒否した。それが吉とでるか、凶とでるか。当然、娘が立教大学より上のレベルの大学に入れなければ、「だから立教女学院へ行かせればよかったんだ」と私は非難されるであろう。小学校から私立に行かせたくない理由は沢山あるけど、結果が伴わなければそういったことは理解が得られないであろう。かみさんの両親が、私のブログを読んでいるとも思えないし・・・。

ただ、今、うちの娘は必死になって勉強している。親が決めた大学ではなく、自分が行きたい大学を自分で見つけ、合格の栄冠を勝ち取ろうと、一生懸命努力している。私はそれが嬉しくて仕方がない。結果も大事であるが、私は、結果以上にそれを嬉しく思っている。私が高校生の頃は、浪人が当たり前(特に都立では)みたいな雰囲気があったが、今はそうでもないらしい。私は娘に何度も「浪人してもいいからね」と言っているが、やはり、できれば現役で大学に入りたいようだ。私は今の娘を見て、「現役で大学に合格する奴って、こんなに勉強してるんだ」と驚いている。高校1年2年と部活に興じ、お笑いにはまり、友達と遊びまくっていた娘が、部活を引退し、友達ともそれほど遊びにいかず、ほとんどテレビも観ず・・・。ちょっと可哀想な気がする。やっぱり、高校生活をもう少しエンジョイして、浪人してもいいのではないかと思う。浪人を悪とする風潮を創り上げたのも、間違いなく塾である。本当に塾はクソッタレである。

正直、「塾へ行かせてあげれば良かったかな」と悩んだこともあったが、今の娘の姿を見て、自分の判断が正しかったと思っている。やはり、大学というのは、自分で行きたいと思って行くところである。親が決めるものではない。そして、自分の意思で必死になって努力して勉強して行くところである。親が勉強を押しつけて行くところではない。その必死さが大きければ大きいほど、それだけ自分が行った大学を好きになることができるであろう。それが大学や大学の先生、大学の友人達を大切に思う気持ちにつながるのではないであろうか。

ただ、必死に勉強するのは1年、長くても2年で良い。小学生の頃からずっとそんな思いをさせるのは、ある意味子供への虐待である。また、幼児期に親に言われて大学の附属小学校に入り、そのまま大学へ行っても、親は満足かも知れないけど、当人は本当にその大学を好きになれるだろうか。その小学校のことを好きになるかも知れないけど、大学は大して好きになれないんじゃないかな。

※なお、現在、下の娘も都立高校の合格を目指して猛勉強中である。勿論、小学生の頃から塾へは一度も行っていない。

| | コメント (0)

2010年3月30日 (火)

学習院の悩み

私が学生の頃の話であるが、新宿駅で山手線に乗り換え、池袋へ向かう車中、胸にGマークを付けたスタジャンを着た学生をちらほらみかけた。目白駅で降りていく彼らは、学習院大学の学生である。我々立教大学は胸にRマーク。立教と学習院は、当時、入学難易度がほぼ同じであり、ある意味ライバル関係にあってもおかしくないのだが、私の中で学習院とはとても特別な学校とのイメージがあり、ライバル視したことは一度もなかった。皇族が行く学校、高貴な方々が行く学校、おぼっちゃんが行く学校、お嬢様が行く学校・・・。スポーツは何一つ強くないし、社会に出てからの派閥は皆無だし、凡人の自分が行くメリットは何も無いわけであり、ある意味自分とは異次元の学校、受けたらバチが当たる学校といったイメージであった。

そんな学習院が揺れている。大学ではなく、初等部の話であるが、愛子様が不登校になってしまわれたようだ。それも、やんちゃな同級生の御振る舞いが原因らしい。それが暴力に値するものなのかどうかは定かではないが、学習院にやんちゃ坊主は存在しえないものかと思っていたのだが・・・。

ここで、ちょっと学習院について考えてみたいと思う。まずは、学習院とは誰もが皇族の方々が通われる高貴な学校とのイメージがあると思うが、全ての定員を皇族で埋めるのは不可能である。そうすると、当然、一般人も募集することになる。皇族の方々と、一般人が一緒に勉学を学ぶわけだが、ここで思うのは、学習院の教員(とくに初等部)は、トップからどのような指示を受けているのだろうか。例えば、皇族の方と一般人が同時に手を挙げたとき、どちらの生徒を指すのか。皇族の方と一般人が級長に立候補したら、ちゃんと選挙で決めるのであろうか。皇族の方が宿題を忘れてきたら、しっかりと叱るのであろうか。皇族の方と一般人がとっくみあいの喧嘩をしたら、喧嘩両成敗でどちらも叱るのであろうか。トップからあくまでも平等に扱うように指示を受けているのか、皇族の方を特別扱いするように指示を受けているのか・・・。子供の教育と言うことを考えれば、当然、平等に扱うように指示を受けていると予想されるが、教員にしてみれば、皇族の方々と一般人を平等に扱うことはかなり難しいであろう。

学習院とは、かなり特殊な環境で教育せざるをえない状況におかれた学校と考えるべきである。まあ、学習院にしてみれば、家庭でしっかりと礼儀作法を教育され、“やんちゃ”なんてあり得ないお子様が来てくださいとのスタンスであろうし、当然、そういったことを理解した家庭の子供だけが入学してくると思っていたと思われる。特に初等部の受験においては、そういったことも十分チェックして合否を決めていたのではないだろうか。

しかし、これだけ少子化が進むと、そうも言っていられなくなる。高貴の家柄の子供だけを入学させていたのでは、定員割れになる可能性もあるだろうし、経営的にもかなり苦しくなるであろう。また、昨今のお受験ブームにより、高貴な家柄の子供だけがお受験する時代ではなくなってきている。東京都の場合、半数近くの親がお受験を考えているようであり、猫も杓子もお受験みたいな風潮になってきている。そうなると、高貴な家柄だから学習院へ行くという本来あるべき姿が崩れ、高貴な家柄に見せかけたいから子供を学習院へ、高貴な家柄の仲間入りをしたいから子供を学習院へ、子供に高貴な教育をお願いしたいから学習院へ・・・みたいな本末転倒の発想で子供を学習院へ行かせたがる親が出現してもおかしくない。

学習院は、皇族をはじめとする高貴な家柄の方々が行くところであって、高貴な家柄になるために行くところではない。早稲田や慶應、青学は偏差値的に無理と考えている親が、比較的偏差値が低く、その割に高貴なイメージがある学習院を候補に考えるのであろうが、あれだけ特殊な教育環境にある学習院へ自分の子供を行かせることにどれだけの意味があるのか。小学生は、元気いっぱいに遊び回り、大声で話し、時には教室でボールあそびをしてしまう・・・といった少しくらいやんちゃなくらいが丁度良いと思う。また、クラスにやんちゃ坊主がいたほうが、楽しいではないか。廊下を走ることは確かに危ないが、私の小学校時代は廊下を走る子どもがいるのは当たり前だったし、先生も、叱りはするが本気では叱っていなかった。「そのくらいやんちゃな方が良い」との考えが背景にあったと思う。一般人なのに“よい子”を強要され、廊下を走ることも許されない、喧嘩も許されない、下品な発言も許されない、大声で話すことも許されない・・・・・一般人なのに、敢えて自分の子供をそういった特殊な環境で学ばせようとする親の気持ちを、私は全く理解できない。

| | コメント (0)

2009年9月 4日 (金)

少年サッカークラブチームについて

「毎週親が見学に行かないと、子供を試合に出してもらえない」「親が熱心にクラブチームに協力しないと、子供を昇格させてもらえない」。一部かもしれないが、少年サッカークラブチームに子供を通わせている親の間で、こういった考えが蔓延しているようだ。我が家の近くに公園があり、そこで時々少年サッカーのクラブチームが練習しているのだが、確かに毎回多くの親が見学している。

といっても、クラブチームがそういった方針を打ち出しているのではなく、問題は親側にあるらしい。親が熱心なのはいいことなのだが、とにかくクラブチームが実施する全ての試合や練習に親が行かなければならない雰囲気があるようなのだ。私の友人のTさんは、息子さんを某強豪クラブチームに入れているのだが、ほとんどの親が毎週のように練習や試合の見学に行っているようなのである。

Tさんは我々と毎週日曜日にフットサルをやっているため、あまり子供の試合に行けていないのだが、別の親から、「毎回試合を観に来たほうがいいよ。そうしないと、子供が試合に出られなくなるよ」とアドバイスを受けたらしい。実際、クラブチーム側がそのようなことを親に強制することはあり得ないと思うが、親の方で勝手にそう思いこんでいるようなのだ。そして、一部の母親が他の親にそのことを吹聴し、噂が噂を呼び、いつのまにかそれが多くの親の間で決まり事のようになってしまったらしい。Tさんのお子さんはサッカーが巧く、試合に出られているそうだが、奥さんから「練習の見学に行かないと、子どもが試合に出られなくなるのではないかしら・・・」と言われたようであり、少し憤慨していた。

私も、Tさんと同じように、こういった親の行動は、間違っているとは言えないまでも、好ましくないと思う。親が毎週のように練習や試合を見学に行くというのは、普通に考えれば常軌を逸した行動である。地区大会の決勝とか、都大会に進出したから応援に行くのならわかるが、毎週の練習試合までも欠かさず見に行くというのはいかがなものであろうか。我々の少年時代は、試合を見に来る親が少数派だったと思う。たまにしか親が来ないから、「都大会に進出すれば、お父さんが見に来てくれる。頑張るぞ。」みたいな感じがあったように思う。むしろ、親が頻繁に見学にくると、「お前の父チャンは暇人だな」と言われ、かえって恥ずかしく感じたものである。毎週のように父親が来れば、父親が来ることが安っぽいものになってしまう。ここにも父親の威厳が低下している状況が垣間見られる。

そして、親が抱いている「私たちが見学に行けば、試合に出してもらえる」という意識。これは、次元こそ違うが、「チームに100万円を寄付するから、子供を試合に出して欲しい」というのと類似の感覚ではないであろうか。最近のクラブチームは、どこも非常にレベルが高く、真剣にJリーガーの育成を目指しているところも少なくない。そんな中で、子どもが試合に出るためには、かなりのセンスと努力を要する。そんな子供をみて、「子供のために何かをしてあげたい」と思う親の気持ちは理解できるし、子供が可愛いのはわかるが、最近の親の多くは、子供が努力するように仕向けるのではなく、子供に何かをしてあげてしまうのだ。サッカーをやらせるのはいい。しかし、会費だけ払ってあげれば十分だろ。自分が楽しむために、暇な時間を使ってたまに練習や試合の見学に行くのは良いが、「子供を試合に出してもらいたい」との動機から、義務のように毎週試合を見に行くことは、子供のためにならない。子どもにしてみれば、そんなことで試合に出られたってちっとも嬉しくないし、実際にそれで試合に出られたとしても、その理由を知った時、大きなショックを受けるであろう。本当に子どもを試合に出してあげたいのなら、今やブランド化してしまっているクラブチームに拘らず、子どもの身の丈にあったチームに所属させればいいのだ。

Jリーグフアンの私としては、多くの子供に強豪どころのクラブチームに所属してもらい、第2第3の俊輔が生まれてほしいと思う。しかし、大切なことは、兎にも角にも楽しくサッカーをやることである。そして、子供が真剣にサッカーをやりたがっているのなら、一生懸命練習をしなければ試合に出られ無いという現実を教えることも大切である。親が見学に来ているから子どもが試合に出られるといったクラブチームはあり得ないし、もし仮にそんなクラブチームがあるとすれば、即刻子供を辞めさせるべきだ。小学生のうちから塾に行かせたり、私立の小学校に子どもを行かせる親が着実に増えている。そして、そういった親ほど、有名どころのクラブチームに子どもを所属させたがるようだ。これは、子どもをブランド品と同じようにみてしまっているからではないだろうか。とにかく、「子供に何かをしてあげる」の中身を勘違いしている親が多すぎる。嘆かわしいことである。

| | コメント (4)

2008年12月 4日 (木)

塾不要論2

高度1万メートルで偶然に出会ったスッチーさんと新宿でビールを飲み、店を出る際、冗談で「俺は今回JALのお客さんだったのだから、接待(ご馳走)してくれよ」と言ったら、「お金がないから駄目」と言われた。接待は冗談にしても、「年収800万円ももらっていて、なぜお金がないのか?」と尋ねたら、「娘の教育費が嵩んで大変なの」と言う。確かに彼女の娘は、来年大学受験を控えている。そして、現在、娘の塾の費用だけで月15万円を遣っていると言うのだ。15万円????。あり得ないだろ。そして、「娘の受験が終わったら、ゆっくりと飲みに行こう」という。はぁ?おめーが受験するわけじゃないだろ?

ちょっと前の日経新聞に、青山学院大の教授が、「中学受験ブームに警鐘」という記事を掲載していた。その先生がベネッセと協力して行った調査によると、東京都の場合、中学受験率が36.9%に達しているようだ。また、受験中学選びの基準が、なかなか興味深い。大きく分けると「授業レベルや進学実績の高さ」「学校不適応懸念の少なさ」「勉強面以外の充実」「制服センスや世間の評判」「地元の公立にはない教育」に区分されるという。今の親の多くが“進学”というものにしか目がいっておらず、子どもが伸び伸びとしか環境で成長することを望む声が聞かれない。また、「制服センスや世間の評判」からもわかるように、子どもをブランド商品化している以外の何ものでもない。

そして、東京都の小学6年生で、週5回以上通塾している子の割合は43.3%、1日に3時間以上塾で授業を受けている子どもの割合は77.2%に達し、難関校受験を中心に塾通いが過熱化しているとある。この状況だけでも異常さを感じざるを得ないのに、この教授は、「しかし、このことは塾への依存度の増大を意味しない。注目すべきは、むしろ家庭の役割が増大していることだ。塾への送迎やお弁当づくり、健康管理、頻繁な外出(保護者会、公開模試、学校見学、学校説明会など)といった肉体労働に加え、勉強面でも、直接教えることはもちろん、資料づくりやスケジュールの管理、採点、ノートの整理などの頭脳労働を行っている。」と書いている。親が子供の勉強に口を出すだけではなく、手までも出すようになってきているのだ。受験期になると、子供ばかりか親までもが忙しくなるのだ。なるほど、私の友人のスッチーが忙しいと言っていたのは、こういうことだったのかと思わず納得してしまった。

あほくさ。うちのかみさんが、子供の高校受験の願書を書こうとしていた姿が思い出されるが、とにかく、今の親は子供の教育や勉強に関わりすぎである。保護者会なんか年に1回やれば十分だろ。先生を囲む会までやっている。学校のことは、学校に任せればいいのだ。親が余計な口を挟むから、先生は生徒を殴れなくなってしまった(私は、先生がイライラの解消を目的に生徒を殴ることは暴力と考えているが、愛情から生徒を殴ることは暴力ではないと考えている)。そして、それが学級崩壊にもつながっているのだ。

学校を選ぶのは子供である。お受験(小中学校の受験)の場合、ほぼ例外なく親が子供の学校を選んでいるが、それは、子供が学校を選ぶ自由を奪っていることになるのではないだろうか。また、多くの親は、子供を塾へ行かすことで安心しているようだ。塾は、確かに勉強法や攻略法を教えてくれる。しかし、子供は、自分で行きたいと思う学校を自分自身で決め、その目的を達するために自分自身で勉強法を考え、自分自身で攻略法を考えるべきなのだ。現在、インターネットが普及し、様々な情報があふれているのだから、子供の力でできるはずである。親は、そのヒントだけを与えればいいのだ。どのような参考書が使いやすいか、どうすれば英単語を覚えやすいか、世界史の年号をどうやって覚えるか・・・・そういった自分自身の経験を子供に伝えてあげればいいではないか。そんなことまで塾に任せるから、子供との会話の時間がどんどんなくなるのだ。多くの親は、子供が自分自身で考え、自分自身で情報収集し、自分自身で実行する機会を奪ってしまっている。全てにおいて親が口を挟み、手を差しのべてしまているのだから、自分で考える力、自分で見つけようとする能力が養われるわけはないのだ。

こんな環境で育った子供の多くは、いくらいい大学をでても、社会に出てから使えない。最近の新入社員をみると、他人に対する依存性が高い奴が多いように思う。自分で創意工夫しながら、困難に打ち勝とうという姿勢を持った者が少ない。ちょっと苦しい目にあうと、すぐにあきらめてしまう。何でも口や手をはさむ親が増えてきていることが影響しているのではないだろうか。このままでは、本当に駄目人間ばかりになってしまう。

| | コメント (0)

2008年6月27日 (金)

家庭教師

好感度No.1のCMは、何と言ってもソフトバンクである。私もかつてCMづくりの仕事に関わったことがあるが、あのCMを初めて観たときは、そのできの良さに本当に驚いた。一方、不快に感じるCMのNo.1は、欧米系の保険会社のCM。そして、それに続くのが「家庭教師のト○イ」のCMである。間違ってもTVに映してはいけないおやじ(ト○イのお偉いさんらしい)の顔に、どんどん落書きがされていくあのCMである。「ケアレスミスをする子の原因は、頭がパニック状態になり・・・」等とほざいているが、ケアレスミスとは不注意のミスのことであり、頭がパニックになってやってしまうミスとは別物である。ケアレスミスを防ぐには、テストが終わった後に必ず見直す習慣をつけることである。

あの会社は、家庭教師を希望する学生を登録し、申込があれば登録されている家庭教師を派遣しているだけである。あれだけ頻繁にCMを行っているのだから、かなりの広告宣伝費を投じており、ドカッとマージンをとっていると思われる。「プロの家庭教師がいます」とか謳っているが、プロの家庭教師って何だろうと首をかしげてしまう。家庭教師だけで飯を食っている奴・・・・・・・ちょっと考えにくいが・・・・。

家庭教師のメリットは何か?それは1対1で教えてもらえることである。学校や塾では、1人の講師が多くの子どもを相手にするため、集中力のない子は取り残される。しかし、家庭教師の場合は1対1であるため、集中力が無くても取り残されることはない。

家庭教師に何を求めるか?一般的には、「勉強を教えてもらう」ということであろうが、私は「勉強の“仕方”を教えてもらう」と考えている。勉強をしない子は、なぜ勉強をしないのか?「勉強が嫌いだから」であろうが、最も大きな理由は、勉強の仕方がわからないからなのである。ちなみに、学校や塾は、通常、勉強を教えてくれても勉強の仕方は教えてくれない。時々、「大卒の親の子どもは頭が良く、そうではない親の子は頭が悪い。それは、遺伝のせいだから仕方がない。」と言う方がいるが、私はその考え方は間違っていると思う。大卒の親は、子どもに勉強の仕方を教えられるからである。

どんな家庭教師がいいか?よく、東大生の家庭教師を希望する親がいるが、私は間違いだと思っている。勿論、子どもが東大を狙っているのであれば、それは正しい選択だが、頭が悪いという理由で家庭教師をつけるのであれば、東大生ではない方がいいと思う。なぜなら、東大生の多くは天才であり、なぜ問題が解けないのかを理解できないからである。「どうしてこんなことも覚えられないのであろう」「なぜ、これくらいの問題が解けないのだろう」と思ってしまう。天才ではなく、自分なりの創意工夫で勉強してきた者は、頭が悪い子の気持ちを理解できる。「自分もこれはなかなか覚えられなかった。だけど、自分はこうやって工夫して覚えることで克服したんだ」みたいな教え方ができるのだ。要は、近所の知り合いで、そこそこのレベルの大学の学生がいれば、その方に頼めばいいのだ。そして、「勉強を教えるのではなく、勉強の仕方を教えてあげて欲しい」としっかり伝えることである。

家庭教師の費用は安くない。1対1なんだから、当然であろう。とある会社にマージンまでも支払わなければならないのなら、それこそかなりの費用になるだろう。金持ちは別だが、家庭教師から勉強の仕方を教えてもらい、そこそこ勉強が軌道に乗りだしたらさっさとやめた方がいい。勉強の仕方を教えてもらえば急激に成績が伸びるが、そこからは、さほどアップしない。勉強の仕方がわかれば、自分で勉強できるようになるし、学校の授業にも徐々に集中できるようになる。あとは、本人の努力に任せればいいのだ。

| | コメント (0)

2008年6月26日 (木)

浪人のすすめ

親睦会における母親同士の会話。

母親A「なんか、最近、浪人した人を採用しない会社があるんだってよ」

この台詞に対して、母親Bの反応は、「そうなの? それなら、うちの子も浪人させないようにしなきゃ」。そして、母親Cの反応は、「そんな会社には入らなきゃいいのよ」。

私は、母親Cの意見を支持する。そんなアホみたいなことを言う会社には、入らなければいいのである。

浪人したことを恥じる必要は無いし、浪人した人間が、現役の奴よりも劣っていると言うことは無い。要は、受験勉強を始めた時期が違うだけである。一流大学と呼ばれている大学に行こうと思えば、遅くとも高校2年から受験勉強を開始する必要があるであろう。ただ、高校時代は、人生の中でもとてつもなく楽しい時期である。とくに高校2年の時は、部活でも中心的学年だし、何をやっても楽しい。私は、娘から「高校時代を思いっきり楽しみたいので、浪人しても構わないか?」と問われれば、「勿論構わないよ」と即答するであろう。受験勉強も大切であるが、高校生活を楽しむことは、もっと大切だからである。そして、1年間の浪人の代償として「楽しい高校生活」が得られるのであれば、私はそれをお勧めする。

私は一浪している。浪人の1年間は、とても辛くて苦しかったが、今思い返してみると、今までの人生の中で最も充実していた1年間だったように思う。とにかく、常に勉強をしなければならない状況なのだ。どんなにつまらないテレビ番組を観ていても面白かったし、サイコロを振るだけで3時間以上遊ぶことができた。とにかく、勉強以外は何をやっても楽しいのである。

また、私は夏休み前に予備校を辞め(必要と思う授業だけを受けるようにした)、友人と一緒に図書館(勉強する環境の整った図書館)で勉強し始めたのだが、そこから急激に成績(模試の点数)がアップした。図書館は、夏にはクーラーが効いているし、テレビの誘惑もない。朝の9時から夜の6時までたっぷり勉強ができた。そして、家に帰って夕食を摂り、8時から12時まで再び勉強するのである。図書館では1時間休憩するから、1日12時間くらい勉強していたことになる。そんな長時間の勉強は無理だと思う方もいるかもしれないが、図書館で友人と勉強していると、特に苦もなくできてしまうのである。図書館でも予備校の自習室でもどこでもいいのだが、とにかく自宅よりは全然集中して勉強できる。これは本当の話なので、是非、試して欲しい。

ただ、浪人したから行きたい大学に行けるわけではない。予備校の周りには雀荘もあるしパチンコ屋もある。結局、予備校に行かずに雀荘やパチンコにはまった奴が何人もいたし、予備校に恋愛や遊びに来ているような勘違い野郎もいた。また、一生懸命勉強しても、思い通りの大学に行けない奴もいる。

私が思うに、麻雀やパチンコにはまる奴は、結局そこまでの人間・・・・というか本当に行きたいと思う大学が無い人間なのである。そういう状況になることを恐れていては、何もできないわけであり、本当に行きたいと思う大学があるのなら、1年間は浪人してみるべきである(ただ、本人次第であるが、私は2浪は勧めない。勿論、2浪して結果を残す奴もいるが、2浪目で成績が飛躍的に伸びた奴は、私の周りにほとんどいなかった)。私は、息子であれ娘であれ、本人が目標に向けてチャレンジしたければ、浪人の道を歩ませるべきであると考えている。

| | コメント (0)