学習院の悩み
私が学生の頃の話であるが、新宿駅で山手線に乗り換え、池袋へ向かう車中、胸にGマークを付けたスタジャンを着た学生をちらほらみかけた。目白駅で降りていく彼らは、学習院大学の学生である。我々立教大学は胸にRマーク。立教と学習院は、当時、入学難易度がほぼ同じであり、ある意味ライバル関係にあってもおかしくないのだが、私の中で学習院とはとても特別な学校とのイメージがあり、ライバル視したことは一度もなかった。皇族が行く学校、高貴な方々が行く学校、おぼっちゃんが行く学校、お嬢様が行く学校・・・。スポーツは何一つ強くないし、社会に出てからの派閥は皆無だし、凡人の自分が行くメリットは何も無いわけであり、ある意味自分とは異次元の学校、受けたらバチが当たる学校といったイメージであった。
そんな学習院が揺れている。大学ではなく、初等部の話であるが、愛子様が不登校になってしまわれたようだ。それも、やんちゃな同級生の御振る舞いが原因らしい。それが暴力に値するものなのかどうかは定かではないが、学習院にやんちゃ坊主は存在しえないものかと思っていたのだが・・・。
ここで、ちょっと学習院について考えてみたいと思う。まずは、学習院とは誰もが皇族の方々が通われる高貴な学校とのイメージがあると思うが、全ての定員を皇族で埋めるのは不可能である。そうすると、当然、一般人も募集することになる。皇族の方々と、一般人が一緒に勉学を学ぶわけだが、ここで思うのは、学習院の教員(とくに初等部)は、トップからどのような指示を受けているのだろうか。例えば、皇族の方と一般人が同時に手を挙げたとき、どちらの生徒を指すのか。皇族の方と一般人が級長に立候補したら、ちゃんと選挙で決めるのであろうか。皇族の方が宿題を忘れてきたら、しっかりと叱るのであろうか。皇族の方と一般人がとっくみあいの喧嘩をしたら、喧嘩両成敗でどちらも叱るのであろうか。トップからあくまでも平等に扱うように指示を受けているのか、皇族の方を特別扱いするように指示を受けているのか・・・。子供の教育と言うことを考えれば、当然、平等に扱うように指示を受けていると予想されるが、教員にしてみれば、皇族の方々と一般人を平等に扱うことはかなり難しいであろう。
学習院とは、かなり特殊な環境で教育せざるをえない状況におかれた学校と考えるべきである。まあ、学習院にしてみれば、家庭でしっかりと礼儀作法を教育され、“やんちゃ”なんてあり得ないお子様が来てくださいとのスタンスであろうし、当然、そういったことを理解した家庭の子供だけが入学してくると思っていたと思われる。特に初等部の受験においては、そういったことも十分チェックして合否を決めていたのではないだろうか。
しかし、これだけ少子化が進むと、そうも言っていられなくなる。高貴の家柄の子供だけを入学させていたのでは、定員割れになる可能性もあるだろうし、経営的にもかなり苦しくなるであろう。また、昨今のお受験ブームにより、高貴な家柄の子供だけがお受験する時代ではなくなってきている。東京都の場合、半数近くの親がお受験を考えているようであり、猫も杓子もお受験みたいな風潮になってきている。そうなると、高貴な家柄だから学習院へ行くという本来あるべき姿が崩れ、高貴な家柄に見せかけたいから子供を学習院へ、高貴な家柄の仲間入りをしたいから子供を学習院へ、子供に高貴な教育をお願いしたいから学習院へ・・・みたいな本末転倒の発想で子供を学習院へ行かせたがる親が出現してもおかしくない。
学習院は、皇族をはじめとする高貴な家柄の方々が行くところであって、高貴な家柄になるために行くところではない。早稲田や慶應、青学は偏差値的に無理と考えている親が、比較的偏差値が低く、その割に高貴なイメージがある学習院を候補に考えるのであろうが、あれだけ特殊な教育環境にある学習院へ自分の子供を行かせることにどれだけの意味があるのか。小学生は、元気いっぱいに遊び回り、大声で話し、時には教室でボールあそびをしてしまう・・・といった少しくらいやんちゃなくらいが丁度良いと思う。また、クラスにやんちゃ坊主がいたほうが、楽しいではないか。廊下を走ることは確かに危ないが、私の小学校時代は廊下を走る子どもがいるのは当たり前だったし、先生も、叱りはするが本気では叱っていなかった。「そのくらいやんちゃな方が良い」との考えが背景にあったと思う。一般人なのに“よい子”を強要され、廊下を走ることも許されない、喧嘩も許されない、下品な発言も許されない、大声で話すことも許されない・・・・・一般人なのに、敢えて自分の子供をそういった特殊な環境で学ばせようとする親の気持ちを、私は全く理解できない。

