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2009年5月28日 (木)

川崎を見習え

川崎は、どちらかといえば好きなチームである。フロントが一生懸命チームを盛り上げようとする気持ちが伝わってくるし、イベントも様々な工夫が凝らされており、とても興味深い。今回の大島ツアーは、完全に一本とられたといった感じである。そして、さほどお金があるわけでもないのに、しっかりとした補強をして、Jリーグ屈指の強豪チームに育っている。FC東京のフロントが見習わなければならない点は、多々あると思う。川崎は、Jリーグチームの鏡のような、そんなチームである。だから、多摩川クラシコと命名し、煽りCMまで作られても、私の中ではさほど気持ちが盛り上がらない。緑色のチームには心から憎しみを感じるが、このチームは、相手サポーターも含めて憎いという気持ちが全く沸いてこない。

ただ、一つだけ嫌いなところがある。前線に外国人だけを並べているところである。ほとんどのチームがFWに外国人を配置しているが、2トップの場合は、どちらか一人を日本人にしているところが多いと思う。確かにFWを全て外国人にすれば迫力有る攻撃が展開できるが、それでは日本人FWが育たないわけで、暗黙の了解でFWの一枚は日本人にしようという流れがJリーグに有るような気がする。そんな流れを完全に無視しているのが川崎であり、昨年の緑色のチームであった。決してルールを破っているわけではないし、悪いことをしているのではないのだが、そこのところだけはどうしても好きになれない。

今回の川崎戦の敗戦でむかつくのは、その前線に並べた外国人にやられたからである。田坂に替わって4人目の外国人であるヴィトール ジュニオールが出てきたとき、4人の外国人はずるいだろと思った(実際、チョンテセは外国人枠にならないのだが)。そして、ブルーノが退場。こちらは外国人がカボレ一人だけになり、なおかつ10人になってしまった。

ただ、外国人が4人いたとしても、実力的に大きな差があるわけではない。私は、川崎の外国人が4人になろうとも、東京が例え10人になろうとも、今の東京なら、十分守りきれるのではないかと思っていた(まあ、引き分けは覚悟したが)。しかし、問題は実力とは別の所に潜んでいた。こければ必ずと言っていいほど吹かれるレフェリーの笛。外国人は、こういったジャッジを巧みに利用するのが実にうまい。チョンテセも例外ではない。チョンテセは、糞レフェリーのジャッジの特長をよく理解し、ブルーノのPA外のファールに対して見事にPA内で倒れ込んだし、梶山のボールにいったスライディングにも自ら倒れ込んでファールにした。そして、今野がジャッジに不満を述べようとした隙をついてFKからプレイを開始し、東京の選手がドタバタしているうちに見事にゴールにつなげた。

汚いやり方ではあるが、これがサッカーである。日本人は、その国民性からか、こういった汚いプレイは好まない選手が多いが、外国人選手は当たり前のようにやる人が多いし、それが技術の一つだと思っている。あの魔の10分は、外国人が4人と1人の差が露骨に出たシーンだと思った。「おめーら、汚いぞ」と思っても、ルールの範囲なのだから、反則でも何でもない。レフェリーがどんなに糞であっても、文句を言って変わるものではない。そんな糞レフェリーを味方に付ける術を考えるしかないのだ。東京の選手は、川崎の外国人の汚いプレイと糞ジャッジに完全に戦意喪失。見事に川崎の外国人カルテットの術中にはまってしまったわけで、3点目を入れられるのは時間の問題であった。

こういったずるいやり方は好きではないし、できればFC東京にはこういったずるいことをしないで勝てるチームになって欲しいが、それは理想論である。やはり、こういったずるさも見習うべきだと思う。サッカーで勝ち続けるには、時にはずるさやダーティさも必要なのだ。クリーンなプレイだけでは客を呼べない。やはり、勝たなければ駄目なのだ。再度高額の授業料を払ったわけで、いったいFC東京は、何回高額の授業料を払えば気が済むのだろうか・・・。

それから、梶山は完全にピンチメーカーになっている。梶山の軽率なプレイで、多くの選手が戦意喪失していたように思う。トリッキーなパスはいらない。ファンタジスタにならなくても良い。キープ力があるのだから、落ちつてボールをキープし、周りをよく見てパスを出して欲しい。そして、梶山のキープ力を活かすためには、周りの選手も考えたパスを出さなければ駄目だ。何か、苦し紛れに梶山にパスを出している選手が多いように思う。「梶山にパスを出せば、何とかしてくれるだろう」みたいな甘えが他の選手に無いだろうか。梶山のチームと言われているが、だからといって全て梶山から攻撃を組み立てる必要はないのだ。梶山が怪我で出場していなかった時の方が攻撃の幅が広いと感じられたのは私だけであろうか。

カボレは、シュートが下手というか、GKにパスしているようなシュートばかりである。まあ、右足でしかシュートを打てないと言う時点でストライカーとして終わってると思うが・・・。調子が悪いのではなく、もともとシュートが下手な選手のようである。平山や赤嶺は、「カボレはストライカーではなく、アシストを出す選手である」との意識を持ち、最後は自分が決めるという気持ちを持って欲しい。「カボレに出せば決めてくれる」ではなく、「カボレからラストパスをもらう」という意識を持つべきである。

それにしても、チリ戦の今野は良かったな~。完全に、良い頃の今野に戻ったようだ。チリ戦ではサイドバックだったが、パスカットや切り返しが実に上手く決まっていた。周りも良く連動しており、今野も非常にやりやすそうであった。やはり、周りが動かないと駄目である。FC東京の選手たちよ。もっと動け!!!

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2009年5月21日 (木)

川崎戦に向けて

カボレ、石川が怪我で離脱したのに続き、梶山までもが怪我をしてしまった。捻挫と言うことで重傷ではないようであるが、2~3週間くらいは試合に出られないであろう。川崎戦後にJリーグが中断期に入るが、それがせめてもの救いである。

ここ3試合、カボレの代わりに平山が先発を勤めているが、私はワクワクしながら平山のプレイを観ている。この3試合での平山の頑張りは、十分賞賛に値するのではないだろうか。以前、私は平山のプレイを観て、その鈍重な動きに何度もずっこけていたが、この3試合の平山を見ていて、ずっこけたことは一度もない。ポストとしての役割をしっかりと果たしているし、何度もチャンスメイクしている。特にすごいのが、落ち着いたボールさばきである。ほとんどボールをとられなくなったし、ちゃんと周りを見て、考えてパスを出している。動きが早いわけではないが、こけることが少なくなり、強さとキレを感じる。FWだから、どうしてもゴールが求められるが、ゴールをあげていないこと以外はかなりいい仕事をしている。私は赤嶺ファンであるが、現在は躊躇することなく平山>赤嶺と評価している。

ナビスコの千葉戦を観て、どうしても巻と比較してしまうのだが、巻は常にボールに食らいついていく姿勢が感じられ、それが観ている者の心を打つのだと思う。また、ここぞという時の動きは、かなり素早い。平山は、ここのところかなり気合いが感じられるようになってきているが、巻のようにもっとボールに食らいついていく姿勢をアピールすることができれば、代表も見えてくるのではないだろうか。まずはゴールだと思うが、あれだけキレがあるのだから、次の川崎戦で是非とも決めて欲しいものである。

カボレと石川はそろそろ復帰できるようであるが、無理に川崎戦で使う必要は無いと思う。ちゃんと怪我を治し、万全の状態で出場して欲しい。とくにカボレについては、もう怪我を言い訳にして欲しくない。カボレの真の姿を見たいものである。

梶山は、これまでチャンスメイクすると言うよりは、ピンチメイクしているとの印象が強い。正直いって、一度梶山をはずしてみてはどうかと思っていた。結局、怪我という形ではずれることになったが、「やはり梶山がいなければ駄目だ」ということになるのか、「梶山がいない方がいいじゃん」ということになるのか。ボールを落ち着かせる選手がいなくなったわけだが、この3試合を見る限り、「梶山がいなくても大丈夫そうだ」といった感じにはなっている。米本が素晴らしい働きをしているし、特に大竹にとっては大きなチャンスであり、是非ともこのチャンスを活かして欲しい。

さて、次はいよいよ川崎戦である。全く攻めてこなかった京都、システムを変えて戦術が機能していなかった横浜、下位に低迷している千葉とは格が違う。川崎は、ACLで敗れたとはいえ、調子は上向き傾向にあり、FC東京の真の力を試す上で、格好の相手である。この川崎戦の勝敗が、今後の展開に大きく影響するような気がする。勝てば大きな自信になり、波に乗って上位に進出できるであろう。昨年も川崎に勝って波に乗れたと思う。今季も勝って、ビッグウエイブに乗ろうではないか。

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2009年5月18日 (月)

ダ・ヴィンチ・コードを観て

土曜の夜にTVで映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観て、宗教について色々と考えさせられた。映画(もともとは小説だが)だからかなり誇張はあると思われるが、人類の歴史において、宗教というもののせいで多くの血が流されてきたことは間違いないであろう。ちょっと真面目に、宗教について独り言を述べてみたいと思う。

そもそも宗教とは、どのようにして生まれたのだろうか。まず、地球上に人類が誕生するわけだが、誕生当時の人間は、当然、モラルが無い中で生活を送っていたわけである。強盗、殺人、強姦、暴力・・・など、何でも有りだったに違いない。しかし、人間には知恵があるから、これではいけないと考える者がでてくる。誰かがリーダーとなり、多くの人間を統率するようになる。国の始まりである。リーダーはルールを作り、ルールを破った者に罰を与えるようにする。法律の始まりである。これにより、少しずつ人間界にモラルが生まれる。当時は、力のある者(多分、喧嘩が強い者)がリーダーになったと思われる。ただ、どんなに力のある者であっても、徐々に老化が進み、力が衰えていく。そうすると、若くてより力のある者がリーダーになり、老人となったリーダーは追放される。正に猿の世界である。しかし、人間には猿を上回る知恵がある。老人になってもリーダーとして君臨したいと思う者が出ても不思議ではない。そこで考えたのが、人間を超えた力である。病気を治す、雨を降らせる、夜を明るくする、空を飛ぶ、水面を歩く・・・等、とにかく何でも良い。普通の人間ではできないような能力を示し、自分には人間の力を超える能力が備わっていることを示すのだ。今で言うマジックでも超魔術でも何でもい良い。とにかく、人間の力を超越した力が備わっていることを示すことで、老人になっても多くの人々を従わせるのだ。これが、いずれ天の力と呼ばれるようになり、太陽の力と呼ばれるようになり、神の力と呼ばれるようになっていったのではないだろうか。「私に逆らえば、神から罰を与えられるぞ」と脅すことで、権力を保つのだ。こういった神の力は、王が、長期に国を治める上で必要であったに違いない。これが宗教の始まりだと思う。だから私は、神や宗教とは、人間が権力を保つために作り上げられたものと考えている。

聖書によると、神が人間を作ったことになっているが、それでは猿や犬や鳥は誰が作ったのか?それらも神が作ったとすれば、虫や昆虫は誰が作ったのか?それも神だとすると、プランクトンは誰が作ったのか。そして、微生物は誰が作ったのか、ウィルスは・・・というようになっていく。まあ、科学的な視点に立てば、人間が神という概念を作り上げたと考える方が妥当であろう。宗教は、人間が作り上げたものだから、それぞれに都合の良い解釈をするため、それは人間にとって善にも悪にもなる。ダビンチコードの中で問題となっていたキリストが人間なのか神なのかは、どうでも良いことだと思うのだが、これまで、そのことで多くの殺戮が繰り返されてきているのだ。

私の家族は、親も含めて特別に信仰している宗教は無いが、宗教は時に生きる希望を与えてくれるし、困った時などはついつい「困ったときの神頼み」でお願いしてしまう。これまで、「FC東京を勝たせてくれ」と何度神に祈ったことか(この手の祈りはほとんど通じない)。不治の病にかかっても、宗教の力で落ち込まずに済んだとか、病気が進行しなくなったといった話はよく耳にする。時に宗教は、楽しみの少なくなった老人の心の拠り所にもなる。そういう意味では、宗教とは人間にとってとてもいいものであると考えられる。

しかし、その一方で、神を信じるあまり自殺する人がいるし、殺人を犯す人もいる。人類の歴史の中で、数多くの宗教戦争が行われてきたが、自分の信じる神が正しいという大義名分の下に、多くの殺戮が繰り返されてきているのだ。また、最近では、聖書に書かれているからとの理由で、輸血を拒否する宗教もある。自分の子供が重傷を負い、輸血を必要としているのに、宗教上の理由から親が輸血を拒否するのだ。これは神の教えを忠実に守るという尊い行為のようにもみえるが、実はとても恐ろしい行為である。そもそも、聖書が書かれた時代に輸血という概念は無いわけであり、神が輸血をしてはいけないと述べるわけがない。私の記憶では、聖書には「他人の血を食してはならない」と書かれていたように思う。これは一理ある。人間の体から出る液体で、一番不潔なのは血液である。尿でも唾液でもないのだ。昔は、彼女が指を怪我すると、優しい彼がそっとその指の血を吸ってあげるみたいな光景が有ったと思うが、これは非常に危険な行為であり、彼女が感染症にかかっていれば、彼女の血を吸ったことで、彼はその感染症に感染する可能性が高いのだ。本当に吸血鬼がいたとすれば、吸血鬼の多くが感染症で死ぬであろう。血液を飲むことは、尿を飲むよりも、唾液を飲むよりも、ずっと感染の可能性が高いわけで、非常に危険な行為なのである。また、仮に聖書の書かれた時代に何らかの方法で輸血ができたと仮定すると、当時は血液型など細かいことがわかっていなかったわけで、他人の血液を輸血すれば、かなり高い確率でその人は死ぬことになる。だから、当時、輸血は駄目と言う教えがあったことはうなずける。しかし、現在は血液型がかなり細かくわかるようになり、血液が感染しているかどうかもかなり高精度にわかるようになり、輸血を安全に行えるようになったのだ。そんな時代において、輸血で人が助かるのに、輸血を拒否するというのはあまりにもナンセンスである。

日本人は、多くが仏教徒であるが、かなりいい加減な仏教徒であり、真の意味で信者と呼べる人は少ない。実際に心から神を信じている人は少ないと思うが、毎年、大晦日の夜に明治神宮で長蛇の列をなしている。それも、クリスマスを祝った1週間後にである。結婚式では、多くの人が離婚しないと神に誓うが、離婚する人は後を絶たない(実際、誓いを破っても、バチが当たったとの話は聞かない。再婚の際も、再び神の御前で離婚はしないと誓っている)。イスラム圏の人達からみると、日本人とは本当に滑稽な民族であるに違いない。多くの日本人は、自殺したり、殺人を犯さない程度に、自分の都合の良いときだけ、自分の都合の良いように神を信じているわけであるが、私はそれでいいと思う。そんないい加減な国に生まれたことを、それこそ神に感謝すべきではないだろうか。

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2009年5月13日 (水)

決定力不足の解消に向けて

それにしてもゴールが決まらない。京都がどん引きしていたとはいえ、あれだけ攻めに攻めても1ゴールもあげられず、私はストレスで胃に穴が空きそうであった。東京の決定力不足は今に始まったことではないが、東京の場合、得点の臭いすらしない。あれだけFW登録がいるのだから、一人くらい調子のいい選手がいてもいいと思うのだが、見事に全員不調。Jリーグの上位チームをみると、いずれも外国人がゴールを量産している。浦和にはエジミウソンがいるし、鹿島にはマルキーニョスがいるし、名古屋にはダビがいるし、ガンバにはレアンドロがいる。東京でゴール量産の役割を担うのはカボレだが、そのカボレがこれまで1ゴールもあげていないのだから、どうしようもない。カボレがゴールを量産すれば赤嶺や平山へのマークがルーズになり、彼らもゴールを量産し始めるという好循環が生まれるかもしれないが、なんせカボレがあの状態だから、全て悪い方へ循環してしまっている。

代表の試合を見てもわかるように、日本人でゴールを量産できるような選手はいない。日本人は、肉体的・性格的にパサーには向いているが、シュートには向いていないのである。シュートがゴールに結びつくためには、コース、スピード、タイミングが大切である。この中で、日本人が特に劣っているのはスピードであるが、現代サッカーはFWも守備の意識を強く持たねばならないため、ここぞというときにボールに向かっていくスピード、シュート態勢に入るまでのスピード、足を振り抜くスピードが奪われ、余計にゴールできない状況に陥っているように思われる。要は、コンマ何秒の遅れでゴールに結びつかないわけで、守備による体力低下が、このコンマ何秒の遅れにつながっているとも思う。また、日本人は綺麗なゴールをあげようとの意識が強く、泥臭いゴールで良しとする選手が少ない。更に、日本人選手のシュートは、そのほとんどがインステップキックである。もっと、トゥーキックやインサイドキックなどを状況に応じて多用しても良いと思うが、インステップキックに拘るあまり、シュートのタイミングが遅れたり、ボールをふかしてしまうシーンがあまりにも多い。

平山は、現代サッカーの被害者の一人かもしれない。彼は、背の高さが強味であるが、その裏返しとしてスピードが無い。もともとスピードがないことに加え、更に守備で走り回って体力を消耗してスピードが無くなっているため、シュートチャンスを迎えてもDFにブロックされてしまう。「FWはゴールだけを考えろ」という一昔前のサッカーなら一流になっていたのかもしれないが、FWにも守備を強いる現代サッカーには向いておらず、それが今の平山の低迷に繋がっていると思われる。

カターニャの森本は、FWに守備を強いる日本のサッカーを嫌っており、代表にも興味を示していない。カターニャの監督は、「ゴールすることだけを考えろ」と言って森本をピッチに送り出すようであり、FWに守備を強いることは無いようだ。森本はスピードが持ち味の選手であり、守備に走り回ってスピードを活かせなくなれば、自分の強味が失われることをわかっているのであろう。確かに、FWが全く守備をしないで、前線をウロウロしているだけというのはいただけないが、さすがにDFの位置まで下がって守備をしなくてもいいと思うのだが・・・。ただ、サッカー中継をみていると、「FWが最終ラインまで戻って守備をしています。素晴らしいですね~」などといったコメントを耳にするし、明らかに守備に走り回るFWは素晴らしいという流れになっている。「FWはゴールだけを考えろ」という方が、日本人ストライカーが育つし、決定力不足の解消にも繋がると思うのだが、どうなのだろうか。

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2009年5月 8日 (金)

グレコEG-900復活!!!

高校二年の娘は吹奏楽部に所属しているのだが、バンドもやりたいということで軽音楽部にも所属している。幼い頃、少しピアノを習っていたこともあり、キーボードを担当していたが、突然「ギターをやりたい」と言いだした。そこで、自分が高校時代に使っていたエレキギターを娘に授けることにした。

私が高校時代に使っていたギターは、グレコEG-900のタバコブラウンサンバーストモデルである。なんと、1978年製であり、30年以上も前の代物である。ただ、当時で定価が9万円しており、決して安い商品ではない。いや、むしろかなり高価だったといえる。実は、当時の友人で父親が楽器屋だった者がいて、3割引で売ってくれたのだ。自分はEG-700(定価が7万円)にしようと思っていたが、EG-900が6万3千円で買えると言うことで、EG-900に決めたのだ。

マイクは、ディマジオ社のパフが搭載されており、当時は多くのプロのミュージシャンが使っていたようだ。ギブソンの上をいくギターとも言われていたようで、今になって思えば、贅沢なギターを使っていたものである。しかし、私はどちらかというとロックよりもフォークを好み、エレキギターよりもフォークギターばかり弾いていた。ロックもよく聴いていたが、ピンクフロイドやイエスなどといったプログレッシュロックばかり聴いていたため、バンドを組んで演奏するようなことはしていなかった。そのため、家で時々練習する程度にしかこのギターを使用しなかったのだ。

山梨の山小屋に長期間放置しておいたため、「音がでないのでは・・・」と不安があったが、ゴールデンウィークを使って、娘と一緒に取りに行った。持ち帰ってみると、ブリッジやペグにすっかり輝きが無くなっていたが、本体部分の傷はほとんど無い。また、裏面のカバーは、保護用のビニールすらはがされていなかった。宝の持ち腐れ状態だったわけで、思いっきり反省してしまった。「お父さん、ぜんぜん弾いてないじゃん」と娘にも馬鹿にされた。ただ、ギターがボロボロではないと言うことは娘にとっていいことであり、「すごい、すごい。」と非常に喜んでいた。

とりあえず、ブリッジやペグ、フレットなどを時計の傷消し用のクリームで磨いてみた。そうすると、あれよあれよと輝きを取り戻し、かなり綺麗になった。弦を緩めの状態で張りっぱなしにしていたため、さほどネックの反りもない。あとは音がでるかどうかである。まず、吉祥寺の楽器店で弦とアンプを購入。弦はフルセットで500円。こんなに安かったかな。アンプは、練習用の5000円くらいのものにした。なんせ、音が出ないかもしれないから・・・。

弦を張り替え、ギターをアンプにつなげてみた。ドキドキ・・・・。弦を弾くと、ボロンと見事に音が鳴った。鳴った~。30年ぶりぐらいに通電したのに、ちゃんと音が出たのだ。嬉しいと思ったと同時にグレコの技術力の高さを改めて痛感した。ただ、ボリュームを回すとわずかにバリがあったので、インターネットでメンテナンスに関する情報を収集し、接点洗浄剤なるものを吹きかけたところ、バリが見事に消え、電気系統もかなりいい状態に復活した。グレコEG-900完全復活!!!

こうなると、娘に授けるのがもったいない気持ちになってきた。インターネットで調べると、当時のグレコのモデルはビンテージとして扱われており、ネットオークションなどに出るとあっという間に売り切れるようだ。私のEG-900は状態がいい方だと思うので、かなり高値がつくかもしれない。

ただ、楽器というものは使って初めて価値があるものだし、私がずっと宝の持ち腐れ状態にしていたのだから、ここで使われた方が本望であろう。娘がバンドでEG-900の素晴らしい音を奏でてくれる姿を早く見たいものである。

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2009年5月 1日 (金)

ガンバ戦を終えて

中2日のガンバにこてんぱんにやられたわけで、今のFC東京は、かなりひどい状態にあると言える。前半は守備的に戦い、後半、ガンバに疲れが見え始めたところでいっきに得点を狙いに行くというのが素人でも思いつく戦い方だと思うが、前半だけで2点も入れられてしまった。まあ、1点目はアンラッキー以外の何ものでもないが、2点目以降は言い訳できない失点である。後半も2点を入れられて万事休す。ガンバの選手の動きが落ちた残り10分で猛攻をしかけたが、4点はあまりにも重かった。

東京関係の掲示板やブログをみると、ほとんどの方が羽生の使い方に疑問を感じている。特に多いのが、羽生をボランチに置き、梶山をトップ下に置いていることに対する疑問の声である。そもそも、羽生はパサー的な選手ではなく、運動量の多さとスピードが持ち味の選手である。そして梶山は、キープ力が持ち味であり、一応、パサーとしてセンスがあると言われているものの、スピードと運動量は無い。それが、羽生にパサーの役割を担わせ、梶山にスピードと運動量を求めているようにみえる。

8試合を終えて感じるのは、この東京の心臓部となる2人の持ち味が全く活かされていないと言うこと。徐々にフィットしてきているのなら納得できるが、その気配すら感じないのに、なぜ、JFK監督は羽生のボランチ、梶山のトップ下にこだわり続けるのか。確かに今野と梶山をボランチに据えれば、どちらもはずせない選手であることから、米本や中村北斗を使いにくくなる。だから羽生をボランチにすれば、梶山を出し続けながら米本と中村を育てることができる。機能すれば、それも納得できる戦い方なのだが、ここまで機能しないことがわかれば、そろそろ見切りをつける時期であろう。

梶山は、羽生が機能しない部分を補えるレベルの選手ではない。今の梶山をみるかぎり、パスは下手、走らない、声を出さない・・・といった感じであり、並の選手に成り下がっている。というよりは、才能はあるのかもしれないが、指導者に恵まれていないからなのか、ぜんぜん成長していない。ちょっと前までは若いから仕方がないかとか、そのうち確変するだろうとか思っていたが、もうそのような年齢ではない。J1では、今の梶山レベルの選手であれば、ゴロゴロいる。

JFK監督に「プライドを捨てて、サポの声に耳を傾けろ」と思っていたところ、ついに梶山をボランチに戻す決心をしたようだ。そして、CBもいじるようで、今野、ブルーノで行くらしい。今野は理解できるが、本当にブルーノで大丈夫なのか疑問である。ぜんぜん、公式戦に出ていないのだから、誰もが不安に感じるであろう。佐原は股関節の痛みがあるようで、明らかに動きがおかしい。千葉戦やガンバ戦の失点は、明らかに佐原の緩慢な動きが原因である。茂庭もパッとしないが、ブルーノ>茂庭なのだろうか。私としては、徳永と今野をCBにして、椋原と長友をSBにしてほしいのだが、徳永のCBはNGなのかな・・・。

あと、カボレは休火山なのか死火山なのか。ずっと休火山と信じてきたが、なんか死火山の臭いが強まってきたようで・・・。君は東京の決定力不足を解消するために入ってきたのだよ。このままでは、ワンチョペと同じように、東京に来たときはスクラップ状態だったと言われかねない。もう守備に走り回らなくてもいいよ。とにかく、大爆発してくれ。

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